300回を超えた。
200回目に比べて勝率は上がっているが、試行の期待値は3.895回から3.96回に若干悪化している。
Wordleは最近微妙にフォントが変わった。
tar0log.tumblr.com からこちらに移転。と同時に、4bungi.jp 全体をWordPressで作るように変えた。まあ中身のないサイトなのですが。
旧tar0logからは全エントリをエクスポートしてこちらにインポートした。そういうツールがあるのはありがたい。しかし、インポート後にタイトルがちゃんと付かないとか、tumblrにはタグしかなかったのでカテゴリが付かないとか、動画の埋め込みが壊れるとか、いろいろ限界があって結局手で直す必要がありそう。
2021年2月からなので600記事以上あるのよね。全部直していたらいつまでかかるのか分からない。まあ新しい方から3か月分くらいは直した。
WordPressは難しいかと思ったが、ネットで何となく調べて、4bungi.jpをホストしているさくらのサーバに適当にインストールして、適当にテーマを選んで適当にカスタマイズしたら1日くらいで最低限見られる形にはなった。画像貼り付けや動画、ツイートの埋め込みが簡単綺麗にできるのはありがたい。
tumblr official のブログテーマを使っているが、しばらく前から画像の横幅がテキスト幅より短く表示されてしまう不具合が発生しているっぽい。
テーマのオプションでテキスト幅を何種類か変えることができ、自分は “wide” を選んでいるが、wideにしていても画像幅が常に “standard” のテキスト幅と同じ値で固定され、左寄せになってしまうように見える。(dashboardでは正常)
tumblrはちょくちょくdegradeするし、サポートも応答は返してくれるのだが話が通じないこともあったりする。放っておけばそのうち直るだろう。
tumblrは手軽で好きなのだが、いろいろ粗も目立ってきたので、WordPressで自作した方がいいのかなーとも思っている。tumblrも今はWordPressと同じAutomattic傘下なんだよな。
14時から行われたリモート会見に参加。中止から3時間も経たない時点で開かれたので、現場の状況把握が最優先だったと思われ、プロジェクトマネージャの岡田さんのみが出席して最低限の状況説明のみという感じだった。
JAXA | H3ロケット試験機1号機による先進光学衛星「だいち3号」(ALOS-3)の本日の打上げ中止について
打ち上げシーケンスの最終ステップは、
なのだが、LE-9の起動までは正常で、ほぼ100%に近い推力を発生したことを検知している。しかしその後に第1段の制御機器が何らかの異常を検出したため、SRB-3の点火コマンドは出ずにLE-9は停止され、アボートとなった。
ロケットの打ち上げでも「はやぶさ2」のリュウグウ着陸でもそうだが、一連の動作シーケンスでは各ステップで機体各部の電圧や温度、タンクの圧力など、さまざまなセンサーの出力値を監視していて、何かのセンサーの値が正常範囲を外れたら安全に中止(アボート)するシーケンスへ移る。今回はLE-9始動の後にアボートしたということ。特に、SRBはいったん点火したら燃焼し終わるまで止められないので、オールグリーンにならない限りSRBに点火しないというのはまあ当然。
ただし、アボートの原因が異常値を検知したせいなのか、第1段制御機器自体の不具合なのかまではまだ切り分けられていないとのことだった。
とりあえず、夜までに燃料を抜いてロケットをVABに戻し、調査が行われるとのこと。
情報としてはこのくらいで、各社の質疑に岡田PMが答えていたが、共同通信のある記者の質問がここしばらくのJAXAの会見では見たことがないほどひどかった。
記者は、この事象は「中止」ではなく「失敗」と呼ぶべきなのでは、と言質をしきりに取りたがり、岡田さんは「ロケットというものはいつも安全に止まる状態で設計していて、今回はその設計の範囲の中で止まっている。設計の想定範囲を超えて止まる『意図しない中止』であれば大変なことになるが、今回は想定している中の話なので、『失敗』とは言いがたい」と、まあ普通に回答したのだが、記者は納得しなかったようで、質問の最後に「分かりました。それは一般に『失敗』と言いまーす。ありがとうございまーす(笑)」と捨て台詞を残して終わった。見返したくもないが、以下の動画の 30:55〜34:00 にやり取りが残っている。思わず、テレビ会議ソフトに向かって「何言ってるんだよ!」と声を上げてしまった。
宇宙関係の会見では、共同通信からはいつも須江さんという記者の方が出ていて、今回須江さんもいたのだが、須江さんは基礎知識がちゃんとあってきわめて普通の人。上の礼儀知らずな記者はJAXAでは見たことがないが、あれで共同通信の科学部次長らしい。こういう頭のおかしい人が同じ職場にいる須江さんにちょっと同情した。
この質問が出た後、会見映像を配信していたYouTubeライブのコメント欄は大荒れに。twitterのTLでも「あれはひどい」という反応が多かった。
ロケットにおける「成功」とは、第1宇宙速度を超えてペイロードを地球周回軌道に投入することである。そういう意味では、軌道投入に至らない結果は全部「成功ではない」わけだが、「成功ではない=失敗」というこの記者の二分法的な語法はいくら何でも粗すぎる。
今回はアボートシーケンスに移行してちゃんとエンジンは止まっており、機体も衛星も健全なまま失われていない。これを失敗と呼ぶなら、アルテミスIは何回「失敗」したんだという話になる。
「成功」と機体が失われるレベルの「失敗」との間にはかなり広いグラデーションがある。それを全て「失敗」とひとくくりに呼ぶのは公平ではないし、科学部記者ならそのグラデーションの中で今回の事象がどこに相当するのかという技術的詳細を報じることこそが仕事だろう。中止じゃなく失敗だろ、みたいな言葉遊びを繰り返したところで、上がらなかったロケットが上がるようになるわけでもない。岡田さんたちの仕事はロケットを上げることであり、国語の問題に答えることではない。人と人との間に必要な当たり前の尊敬がこの記者の言動から一切感じられなかったのにも呆れた。
あと、岡田さんが「お気持ち」を聞かれてつい目を潤ませるような場面も会見中に2回ほどあったが、いい絵が撮れたとばかりにそこだけを切り取って流しているテレビのニュース番組があって、これも不快だった。打ち上げを楽しみに種子島まで来ている親子連れや子供たちのことを思い出して「(予定通りに上げられず)気の毒なことをしたな」とつい感情が高ぶって…と岡田さん自身が語っていたが、それは2時間あった会見の本質的内容とは全く関係がない。中止と涙の間に何か重大な関係があるかのように印象づけようという画作りで、下品だし失礼。
11月の燃焼試験もクリアしているし、まあ上がるだろう。「粗探しをして叩く」「感情を煽る」ことを報道だと思っているオールドメディアは滅びて良い。
YouTubeの「山田五郎 大人の教養講座」が好きでよく見ている。BS日テレ「ぶらぶら美術・博物館」と同じ東阪企画が制作している、ゆるく美術を語るチャンネル。
ムンクの『叫び』を解説した回で、この作品のきっかけとなった体験をムンク自身が書き残した文章が紹介されている。
私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。
この「震え、戦っていた」を聞いて、何となく誤訳の臭いを感じた。戦っていた? 何と? という部分を言っていないのは、目的語や補語をあまり略さない西洋語の文としてはなんか変だな、と。
五郎さん曰く、出典はムンクの日記だという。日本語版Wikipediaを見ると確かにこの文章が載っていて、「震え、戦っていた」と書かれている。これを引用したのだろう。
英語版Wikipediaも見てみる。英語版によると、この文章はムンクがこの体験をした当日の日記とはまた別で、後年の回想で書かれたものらしい。ともあれ、(ノルウェー語ではなく当然英訳だが)該当する文章が引用されている。
I was walking along the road with two friends – the sun was setting – suddenly the sky turned blood red – I paused, feeling exhausted, and leaned on the fence – there was blood and tongues of fire above the blue-black fjord and the city – my friends walked on, and I stood there trembling with anxiety – and I sensed an infinite scream passing through nature.
“trembling” としか書かれていない。はて、「戦っていた」はどっから出てきた?
…というところで思い付くのが、「震戦」「戦慄」という言葉である。「戦」には「おののく(戦く)」という訓読みがある。これ、「震え、戦いていた(おののいていた)」だったんじゃないの?
ということで、日本語版Wikipediaの該当記事の編集履歴をたどってみる。やはりだった。2008年1月13日の編集で「震え戦いていた」という訳文が最初に追加されている。
これ以降、読点が追加されたりもしたが、
とにかく当初は「震え、戦いていた」だったことが判明。
「叫び (エドヴァルド・ムンク)」の版間の差分 – Wikipedia
ところが、2年後の2010年3月8日の編集で、「戦いて」が「戦って」に変更されてしまっている。
ご丁寧にも「戦いてを戦ってに」という編集内容の要約が残されている。この編集を行ったIPユーザーは「おののいて」という読みを知らなかったのだろうか。
「叫び (エドヴァルド・ムンク)」の版間の差分 – Wikipedia
これ以降、記事は「震え、戦っていた」のまま直す人もなく、日本でだけ、ムンクは「戦っていた」ことになってしまった。
現在、「”ムンク” “震え、戦っていた”」で検索すると、実に2,410件ものwebサイトがヒットする。「戦いて」を正しく読めなかった一人のWikipedia加筆者の間違いが孫引きされ、これほど広まった。有名な美術サイトの「MUSEY」や東京都美術館ミュージアムショップのページにも「震え、戦っていた」が伝染している。
紙の出版物でもdegradeがきっかけの誤情報は発生しうるけど、webの時代は間違いが再生産・流布される速度が段違いだから、なかなか厄介。そういえば「野本さんの後妻」事件というのもあった。今は直っているが、修正まで5年くらいかかったようである。
蛇足だが、もともとは “trembling” の一語だったんだから、「震え戦いていた」に読点を入れて「震え、戦いていた」に変えた加筆もあんまり良い直しではないな。