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ゼンリン地図の番地誤記の件

先日報告した件:

でゼンリンさんから電話がかかってきた。公図等を調べ、確かに番地が重複していることを確認したので次の版から修正するとのこと。住宅地図は毎年3月発行なので2024年3月版から直るらしい。カーナビなどは元データの修正後に順次修正されると。

実はうちの近所にあと2組(4軒)、やはりゼンリン地図上で番地が重複している家がある。自分ちではないので報告していなかったが、それも今回の電話で伝えた。

ということで、連絡すればわりとすぐに対応してくれるので、番地が違うみたいなことを訪問者からしばしば言われる場合は、一度コンビニ地図サービスで確認して修正依頼を出すことをお勧めします。

Rh(-)

こないだNHKの海外ニュースを見ていたら、ウクライナ軍兵士の制服に血液型のパッチが付いていた。

5/2 NHK「キャッチ!世界のトップニュース」

Rh(-) のO型って、負傷したら輸血が大変だな、と思ったが、それはアジア人の感覚らしい。

Rh negative blood types are much less common in Asian populations (0.3%) than they are in European populations (15%).

Blood type – Wikipedia

ヨーロッパでは15%がRh(-)ということは、左利きの人口比 (10%) より多いくらい。

なお、画像が汚いのはPC画面をスマホで直接撮影したため。NHK+ではスクリーンキャプチャが徹底的に無効化されており、取れなかった。

ゼンリン住宅地図の誤記

何かの業者さんなどがうちに来るときに、間違えて1本隣の道に入って迷うことがずっと前から起きており、「いや、カーナビで検索したら向こう(1本隣の道)の方の家が出たんですが」みたいなことをよく言われていた。

コンビニの複合機でゼンリンの住宅地図をプリントアウトできるので、改めてうち周辺の地図を買ってみたところ、確かにうちと同じ番地の家が1本隣の道にもある。

該当の家は数か月前に取り壊され、表札などを確認できない。この地区では住居表示は施行されていないので、登記簿の地番が住所ということになる。現在は登記簿謄本や公図をネットで閲覧・保存できるので確認した。1件300円くらい。(せっかくのwebサービスなのに、公図は平日しか閲覧できないとか変な制限がある。意味不明)

公図を確認すると、この家の地番(100-37 ※仮です)はうち(100-30)とは別であった。やはり登記上では地番の重複などはなく、ゼンリンが間違えただけのようだ。彼らは調査員が目視で番地を拾って書いているだけだろうから、こういうこともあるのだろう。

この辺は家が建った時期がばらばらなので地番がソートされていないという事情もある。うちと問題の家はかなり離れているが、うちの地番の次の番号(100-31)が問題の家の1軒隣、次の次の番号(100-32)が2軒隣の家に付いている。そこから遡って、問題の家はきっと「100-30」なのだろうとゼンリンの調査員が思い込んで記録してしまったのかもしれない。ゼンリンに誤記訂正の依頼を出しておいた。

ムンクが「震え、戦っていた」という誤訳の発生と伝播

YouTubeの「山田五郎 大人の教養講座」が好きでよく見ている。BS日テレ「ぶらぶら美術・博物館」と同じ東阪企画が制作している、ゆるく美術を語るチャンネル。

ムンクの『叫び』を解説した回で、この作品のきっかけとなった体験をムンク自身が書き残した文章が紹介されている。

は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。

この「震え、戦っていた」を聞いて、何となく誤訳の臭いを感じた。戦っていた? 何と? という部分を言っていないのは、目的語や補語をあまり略さない西洋語の文としてはなんか変だな、と。

五郎さん曰く、出典はムンクの日記だという。日本語版Wikipediaを見ると確かにこの文章が載っていて、「震え、戦っていた」と書かれている。これを引用したのだろう。

英語版Wikipediaも見てみる。英語版によると、この文章はムンクがこの体験をした当日の日記とはまた別で、後年の回想で書かれたものらしい。ともあれ、(ノルウェー語ではなく当然英訳だが)該当する文章が引用されている。

I was walking along the road with two friends – the sun was setting – suddenly the sky turned blood red – I paused, feeling exhausted, and leaned on the fence – there was blood and tongues of fire above the blue-black fjord and the city – my friends walked on, and I stood there trembling with anxiety – and I sensed an infinite scream passing through nature.

“trembling” としか書かれていない。はて、「戦っていた」はどっから出てきた?

…というところで思い付くのが、「震戦」「戦慄」という言葉である。「戦」には「おののく(戦く)」という訓読みがある。これ、「震え、戦いていた(おののいていた)」だったんじゃないの?

ということで、日本語版Wikipediaの該当記事の編集履歴をたどってみる。やはりだった。2008年1月13日の編集で「震え戦いていた」という訳文が最初に追加されている。

これ以降、読点が追加されたりもしたが、

とにかく当初は「震え、戦いていた」だったことが判明。

ところが、2年後の2010年3月8日の編集で、「戦いて」が「戦って」に変更されてしまっている。

ご丁寧にも「戦いてを戦ってに」という編集内容の要約が残されている。この編集を行ったIPユーザーは「おののいて」という読みを知らなかったのだろうか。

これ以降、記事は「震え、戦っていた」のまま直す人もなく、日本でだけ、ムンクは「戦っていた」ことになってしまった。

現在、「”ムンク” “震え、戦っていた”」で検索すると、実に2,410件ものwebサイトがヒットする。「戦いて」を正しく読めなかった一人のWikipedia加筆者の間違いが孫引きされ、これほど広まった。有名な美術サイトの「MUSEY」や東京都美術館ミュージアムショップのページにも「震え、戦っていた」が伝染している。

紙の出版物でもdegradeがきっかけの誤情報は発生しうるけど、webの時代は間違いが再生産・流布される速度が段違いだから、なかなか厄介。そういえば「野本さんの後妻」事件というのもあった。今は直っているが、修正まで5年くらいかかったようである。

蛇足だが、もともとは “trembling” の一語だったんだから、「震え戦いていた」に読点を入れて「震え、戦いていた」に変えた加筆もあんまり良い直しではないな。

富ヶ谷・幡ヶ谷・千駄ヶ谷のケ

校正仕事をしていて、渋谷区富ヶ谷の「ケ」は小書きの「ヶ」なのか、並字の「ケ」なのかという疑問が湧いた。

渋谷区の web サイトの表記は「富ヶ谷」。幡ヶ谷、千駄ヶ谷も同様。それにしても谷の多い街だ。渋谷区は淀橋台(下末吉面)という都心最古の台地に乗っているため、谷の侵食が多い。

しかし郵便局名を見ると、「富ケ谷」「千駄ケ谷」となっている。なぜか幡ヶ谷だけは「幡ヶ谷」。

住所や地名の表記としてどちらが正しいのかを渋谷区役所の戸籍課住民登録係に問い合わせてみたところ、メールで回答をいただいた。

日頃より区政にご理解およびご協力くださりありがとうございます。

ご質問の「ケ」の表記ですが、戸籍は大きい「ケ」、住民票は小さい「ヶ」で表記しております。これには特段意味がある訳ではなく、また、「ケ」の大きさを規定するものがないため、どちらが正しいといったこともありません。 どうぞよろしくお願いいたします。

結論:どっちでもいい。まじか。

そもそもケとヶの違いを規定するものがない、というのは、言われてみれば確かに。やるなら何らかの文字コードで規定するしかなさそう。区別を気にするのはデジタル時代ならではということか。戸籍も住民票も電子化されているが、両者が違う文字を使っているというのも意外だった。

郵便局名はなぜ富ケ谷と千駄ケ谷だけケなのかというのも謎。

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