• どこかに閉じ込められたときには、ただ闇雲に叩いても自然界のノイズと区別が付かないかもしれないから、ちゃんと「短く3回、長く3回、短く3回 (. . . _ _ _ . . .)」もしくは三三七拍子、三本締めなどのリズムで叩いた方がいい、と母親と話をした。

    https://edition.cnn.com/americas/live-news/titanic-missing-sub-oceangate-06-23-23/index.html

    圧壊の例としてタンク車の空気を抜いて潰す実験の動画が出回っている。

    コメントにある通り、この実験は1気圧で潰れる現象にすぎず、今回の事故は仮に水深3,000mで起きたのであれば300気圧で潰されている。

    潜水艇の圧壊なんて可逆でも準静的でもないが、仮にポアソンの式が成り立つような準静的な断熱圧縮だとすると、TVγ-1 = 一定 が成り立ち、2原子分子なら γ ≒ 7/5 なので、

    TV0.4 = T’V’0.4, T’/T = (V/V’)0.4

    となり、仮に船室の容積が1/100に断熱圧縮されたとすると、気体の絶対温度は約6.3倍に上昇する。船内の気温が20℃だったとすると、圧縮で1,570℃まで加熱されたはず。現代の火葬炉が最高温度で1,200℃らしいので、それ以上の温度になる。一瞬でミンチからハンバーグになって四散した感じか。苦痛を感じる間もなかったのであれば、それはせめてもの救いかも。

  • 何となく見ていたtumblrより。

    何かのアニメ作品のオープニングまたはエンディングか。下弦過ぎの月齢24くらいだと思うが、この月齢の月がこういう傾きで空にいるのは日の出より後、午前中の時間帯である。

    このくらいの月齢だと太陽との離角が60度くらいしかないので、この月齢の月が空にいて、かつ月の北極が西に傾いていて(=月の出から十分に時間が過ぎていて)、かつ太陽が空にいない(=夜である)ということはありえない。

    正確には、月は天の赤道上ではなく、そこから23.4度傾いた黄道付近にいるので、南中時刻より前でもこのように月の北極が西に傾いているという状況は季節によってはないこともない。だが、さすがに日の出前・月の出直後のどっぷり夜の時間帯でこの角度というのはない(ステラナビゲータでも確かめた)。

    この絵は実は南半球の空で、この月は下弦過ぎではなく上弦の前だという可能性もあるが、その場合でも夜間でこの傾きというのは無理だった(これもステラナビゲータで確認)。

    月相は太陽との離角と一対一に対応しているので、ある月相の絵を描くということは、時間帯や方角がかなり限定されることを意味する。そこのつじつまが合っていないと、そればかりが気になって作品が頭に入ってこないことになる。

  • すっぽかしていた予約を3か月ぶりに取り直して受診。親知らず(8番)が1本虫歯になっていて、隣の歯(7番)にも虫歯が出ているとのこと。ここなー。8番は頭が少ししか出てなくて、ずっと7番までしか歯はないと思っていたので、8番や7-8の歯間はほとんど磨いてこなかったんだよね。空間が狭くて歯ブラシもフロスも届かないし。抜いた方がいいというので、来週抜くことに。

    そして本来治療中だった別の虫歯はまだ型取りまでいかず。なぜか待たされる。

    歯は大事にしましょう。まじで。

  • バズっている漫画。『栄光なき天才たち』が好きだった人ならきっと好き。

    世界初の電子計算機がどれかというのは議論があるが、ENIACは米陸軍に納入されて初期には弾道計算や水爆の理論計算に使われたといわれている。アラン・チューリングのBombeはエニグマ解読のための専用機だった。日本初の電子計算機とされるFUJICがレンズの光学設計のために開発されたという歴史は、糸川英夫のペンシルロケットにも通じる日本らしさ。「非軍事分野でなんか面白いことしようや」という。まあ日本が戦争に勝っていたらまた違っていたんだろうけど。

    子供の頃、俺の父は個人経営のオフセット印刷会社をやっていて、母は和文タイプライターのタイピストだった。大きな出版社が出すような書籍ではなく、学校の文集とか名刺とかチラシとかを印刷する町の印刷屋というのが昔はどこにでもあって、父の印刷屋もそういう感じ。『男はつらいよ』のタコ社長が経営していて博が勤めている、ああいう規模の印刷屋だった。そういう「軽印刷」の版下を作ったり、会社の社内文書を作ったりするのに使われていたのが和文タイプライター。書体・級数ごとに用意されている活字盤をタイプライターにセットして、目視で1字ずつハンドルで拾って打っていく。

    http://www.kinosita.itabashi.tokyo.jp/mm_museum/mm_museum/html/jap_type.htm

    1980年代に日本語ワードプロセッサーが出現し、さらにPCの時代に入ると、こういう小規模な印刷物はDTPで自作できるようになり、両親がやっていたような仕事はなくなった。和文タイプは1990年頃にはもう絶滅していた。小規模な印刷所は現在もあるところにはあるが、今も生き残っている会社では事業の柱がwebサイト構築や動画制作に置き換わっていたりする。今、名刺を作ろうと思ったらネット注文できるラクスルとかそのへんのキンコーズとかに出すだろう。(本当は、昔ながらの印刷屋できちんと刷ってもらう名刺の方が高級感が違うのだが。)

    母は和文タイプから、業務用の電子組版編集機、ワープロ専用機(富士通のOASYS)など、時代の変遷に合わせていろんな機械を覚えて仕事をしていたが、Adobe Illustratorを使う仕事あたりで限界を感じたのか、この業界をやめて、パートで学食の調理の仕事や清掃の仕事をするようになった。父親は自分の印刷屋を潰した後、いろんな印刷屋の従業員として働き、やがて印刷の仕事だけ取ってきてつてのある印刷所に刷ってもらうブローカーのような仕事に変わり、最後にはスポーツジムの清掃・メンテナンスのアルバイトとして一生を終えた。

    時代とともに消える仕事もあり、新たに生まれる仕事もある。「これさえ身に付ければ一生食える」というのは幻想で、たいていの人は商売替えをしながら何とか生きていくものだ、という話は新美南吉の『おじいさんのランプ』とかにも描かれている。

    https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/635_14853.html

  • OAチェアを転がすとフローリングが割れるので、これまではホームセンターで買ったビニール製のマットを敷いていた。しかし、このマットにはわずかなクッション性があり、椅子のキャスターが少しだけ沈む。沈む量はわずかだが、それでもキャスターには大きな転がり摩擦力がかかるようで、車輪が短期間で割れるようになってしまった

    そこでマットはやめ、椅子が動く範囲にPタイルを敷いてみた。結果、椅子が驚くほど軽く転がるようになって快適。Pタイルはすぐに撤去できるよう、両面テープでフローリングに軽く貼っているだけ。どのくらい保つか分からんが、しばらくこれでいってみよう。

    1枚だけ向きを間違えて貼ってしまった。まあ陽明門の逆さ柱と同じ、あえての業だということにして。何事も完璧は縁起が良くない。