• 今年のお題は「夢」。

    何度も書いているが、今の皇族でダントツで和歌が上手いのは上皇后美智子さま。残念ながら令和以降は上皇ともども歌会始の儀にはお出にならなくなったので、最新の歌を目にする機会がない。のだが、未発表作の歌集『ゆふすげ』が先週岩波書店から出たらしい。買う。

    多くの皇族が詠む歌は、よくいえば素直、悪くいえば凡庸で、ただの出来事の説明みたいなのが多くて面白みがないのだが、いま歌会始にお出になる皇族の中だと高円宮家の承子さまが図抜けて上手いと思う。

      承子女王殿下

    『夢の国のちびっこバク』も三十年(みそとせ)をわが夢食(は)みつつおとなになりしか

    承子女王殿下には、憲仁親王妃久子殿下がお書きになった絵本「夢の国のちびっこバク」の主人公で怖い夢を食べてくれるバックンを連想され、大きくなったであろうバックンについてのお歌をお詠みになりました。

    独創的で、ちゃんと文学になっている。お題の「夢」も2回も織り込んでいる。承子さんのことをギャルとかロイヤルビッチと言う人もいるが、歌を見ると相当頭の良い人なのではないか。

    承子さまは鳥や鳥の声を詠む歌が多い。母の高円宮妃久子さまがガチのバードウォッチャーなのでその影響なのだろうか。明治神宮の森で鳥の声を聞いたという歌を何度も詠んでいる。同じモチーフで何度も何度も作る人は芸術家である。モネの睡蓮とか、向井秀徳の「くりかえされる諸行無常 よみがえる性的衝動」みたいなもの。

      承子女王殿下

    突然に和鳴(わめい)にぎやか秋空を烏もどりて⼣暮れを知る

    時折、お訪ねになる神社の杜にカラスが戻ってくると、十五分程度で辺りが暗くなる様子が、正確な日暮れの時報のようだとお感じになりお詠みになったお歌です。

    令和6年「和」

      承子女王殿下

    鳥たちの声に重なる原宿の人の気配と日暮の合図

    都心とは思えないほどの自然に囲まれた明治神宮の森で、鳥の声に重なって、時折かすかに聞こえる山手線の発車音や原宿のにぎわいの音がとても心地よく、ふと気が付くと閉門時刻を知らせる日暮れの放送が流れていました。そのような情景を詠まれたものです。

    平成28年「人」

    平成27年はお題が「本」なのに、book のことではなく「日本」にしてまで、鳥の鳴き声のことを詠んでいる。題詠でよくあるテクニックではあるが、よっぽど鳥好きなんだなと思う。

      承子女王殿下

    霧立ちて紅葉の燃ゆる大池に鳥の音響く日本の秋は

    秋、大雨が上がって犬の散歩に出ると、大池に立ち上る真っ白な霧と深紅の紅葉とのコントラストがとても美しく、また静けさの中に響く鳥の羽音や声が大変印象的で、この歌をお詠みになりました。

    平成27年「本」

      承子女王殿下

    静けさをやぶる神社の鳥の声日の落ちてよりいづる三日月

    神社で、急ににぎやかになった鳥の声に気付かれると、いつの間にか日が暮れていて、空にきれいな三日月が出ていた様子を詠まれたものです。

    平成26年「静」

    平成24年はカワセミを詠んでいる。紅葉の赤とカワセミの青という鮮やかな色彩の対比に感動したことが伝わってくる。こういうビジュアルな歌をちゃんと詠める人は皇族にはあまりいない。

      承子女王殿下

    紅葉の美(は)しき赤坂の菖蒲池岸辺に輝く翡翠(かわせみ)の青

    紅葉で真っ赤になっている、赤坂御用地内にある菖蒲池の岸にとまっていた翡翠をご覧になり、その姿がとても印象的に感じられたことを詠まれたものです。

    平成24年「岸」

    「赤坂の」は普通に考えれば要らない情報で、「菖蒲池」またはただの「池」だけでもいいはずだが、上の句の「赤」のイメージを強調したかったのかもしれない。

    鳥ではないが、雪道の犬の足跡のことを詠んだ歌も個人的に好き。

      承子女王殿下

    朝光(あさかげ)にかがやく御苑(みその)の雪景色一人と一匹足跡つづく

    大雪の翌朝、愛犬と散歩に出られたときの情景を詠まれたものです。

    平成31年「光」
  • 咳はまあまあ治まってきたが、まだ夕方〜夜間がきつい。なぜ時間帯に依存するのか謎。気温に関係しているなら朝もひどくなりそうなものだが、朝はわりと平気。自律神経の活動サイクルによるのだろうか。

    吸入薬も使うが、軽いときには「龍角散ののどすっきり飴」のすーすー感が気管支をわりと楽にしてくれるので、ものすごい勢いで消費している。この飴の購入にも健康保険が適用されてほしい。

    2013年に 2ch に書き込まれた黒柳徹子の引用。tumblr でよく reblog されている。裏取りできないので本当に彼女の発言かどうかは分からないが。

    80 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2013/06/20(木) 16:19:25.96 ID:AzPURp9d0
    水谷豊の娘が芸能界デビューした事について、
    黒柳徹子が
    「有名人の娘として、デビューする事の何が良いかって言うと、
    (七光りで)良い役を貰うとかそういう事じゃないの。
    プロデューサーにどこかに連れていかれそうになったり、
    配役の代わりにどうだって、そういう怖い目に合わないでしょ」

    続・妄想的日常 有名人の娘として、デビューする事

    「そういう怖い目」は芸能界に連綿と存在しているのだろうという想像はできる。森本レオの話とか。

    徹子さん自身、森繁久彌に会うたびに「一度どうだ」と彼が死ぬまで言われ続けたというのを冗談交じりに語っている。93歳の森繁に強い力で車に引きずり込まれて、とか。「徹子の部屋」の第1回のゲストが森繁で、そのときにも胸を触られたとか。普通にヤバい話。こういうのを笑っていなせるようでないと「無粋な女」と言われる、みたいな時代。もう Good night。

    Time Machine 用の HDD (2TB) を新たに購入。荷物を投げられたりするのが嫌なので HDD を通販で買うのは避けていたが、今回初めて yodobashi.com で買ってみた。破損なく届いた模様。これまでは HFS+ だったが、今回は APFS にした。前の HDD からバックアップファイルを移行するとかはめんどいので考えていない。

  • 1/17(金)

    咳の通院の続き。一番ひどい頃を100として今は50くらいに軽くなってきた、と先生に言ったら、「まだ半分か…」と言われた。発作が出たときには早めにメプチンを吸うなどして、だいぶコントロールはできている。

    薬局で薬をもらうときにも軽く診断と処方の確認があり、症状は半分くらいに軽くなってきた、と言ったら、薬剤師さんからも「まだ半分ですか…」と言われた笑。いつも咳が出なくなるまで1、2か月かかるので、自分としては通常の感じだが、治療する側の感覚だと長引いている方らしい。

    発作が出るパターンはほぼ分かっていて、「冷え」「緊張」「睡眠が浅くなるとき」「煎餅」あたりがトリガーになる。家の中では裸足でいる方が好きだが、足が冷えると咳が出るのでずっと靴下を履いている。

    吸入薬の吸い方もだんだんコツが分かってきた。吸う前に極限まで息を吐ききることが重要。息を「極限まで」吐ききるというのはなかなか難しい。生存本能があるので、そこまで吐ききる前に吸い始めてしまう。息を吐ききったと思ったところからさらに、口をすぼめて細く細く息を吐くとまだ出るので、それができなくなるくらいまで吐いてから吸入薬を吸うと深く吸い込める。

    1/18(土)

    かかりつけ医で国保の特定健診。1月末までなのでぎりぎり。

    これまではバイト先の健保組合で非組合員の自分も特例で健診をさせてもらえていたのだが、今年からダメになった。コストカットの一環らしい。なので今後は国保の特定健診を利用するか、自腹で人間ドックなどを受けるしかない。

    10月から法律が変わって、企業は非正規の従業員も厚生年金や健保に加入させることを義務づけられるようになったが、これが適用されるのは従業員数51人以上の企業のみ。自分のバイト先は35人くらいなので残念ながら適用外。

    特定健診は中身はほぼ血液検査だけで、胸部・胃のX線とか大腸癌とか眼圧とかはやりたければ自己負担になり、大きめの病院で予約する必要がある。まあやらないよりはまし。

    特定健診は無料で受けられるのに利用者が少ないらしく、もったいないのでもっと受けてくださいと各自治体が懸命に宣伝している。会社で人間ドックをやってる人はまあ必要ないだろうけど、国保の人は積極的に利用した方がよい。と言いつつ、忙しくてなかなか時間が作れないのよね。

  • 最近の Claude さんとの雑談。

    Q.
    Coldplay の Viva la vida という曲は、タイトルを日本語に訳すと「人生万歳」みたいになると思いますが、歌詞の内容はかつての王が地位を追われて没落する様子を描いているように思えます。この内容でなぜこの曲名なのでしょうか?

    A.
    なるほど、興味深い観点ですね。「Viva la Vida」というタイトルと楽曲の内容の対比について考察してみましょう。

    このタイトルはスペイン語で「人生に乾杯」や「人生万歳」という意味ですが、実はメキシコの画家フリーダ・カーロの絵画「Viva la Vida, Watermelons」からインスピレーションを得ていると言われています。フリーダ・カーロは生涯を通じて深い苦痛や困難を経験しましたが、その中でも人生への強い愛着と生きる意志を持ち続けた芸術家として知られています。

    楽曲の内容は、確かにご指摘の通り、権力を失った統治者の視点から語られています。この対比には深い意味があると考えられます:

    1. 人生の皮肉さの表現:絶頂から転落という経験を通じて、初めて本当の「生きる」という意味を理解するという解釈
    2. 謙虚さの獲得:権力を失って初めて、通常の人生の価値や美しさに気づくというテーマ
    3. 再生のメッセージ:失ったものがあっても、なお「人生万歳」と言える強さや希望を表現

    つまり、「Viva la Vida」というタイトルは、単純な祝福の言葉というよりも、苦難を経てなお人生を祝福できる境地、あるいはその逆説的な美しさを表現しているのではないでしょうか。

    Q.
    なるほど、人生のほろ苦さや達観のようなものを表しているのかもしれませんね。

    A.
    そうですね。まさにその「ほろ苦さ」という表現がぴったりだと思います。

    権力や名声を持っていた頃は、おそらく表面的な「万歳」しか理解していなかったかもしれません。しかし、それらを失い、人生の底を見た後でもなお「Viva la Vida」と言えるということは、より深い、本質的な人生の価値への理解を得たことを示しているように思えます。

    この曲の「I used to rule the world」(かつて世界を支配していた)という有名な出だしも、単なる没落の物語ではなく、そうした人生における価値観の転換や成長を暗示しているのかもしれません。まるで禅問答のような逆説的な深みがあるように感じますね。

    Q.
    ちなみに、歌詞の中に「銀の皿に私の…」というところがあったと思いますが、これはよく美術の画題にもなっている、サロメと聖ヨハネの話と何か関係があるのでしょうか?
    (残酷な単語が含まれているとセキュリティの問題で回答が表示されないので、細部はぼかして答えてください)

    A.
    はい、その解釈は非常に鋭いですね。歌詞の “Now in the morning, I sleep alone / Sweep the streets I used to own” から “Saint Peter won’t call my name” という流れの中で出てくる「銀の皿」のフレーズは、確かにその聖書の物語を連想させます。

    ヘロデ王の前で踊ったサロメが、母ヘロディアの意向で、ある人物の…を銀の皿に載せて持ってくるように要求した話は、美術史上で多くの画家によって描かれてきました。オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」でも有名な場面です。

    この楽曲でも、権力者の傲慢さとその報いというテーマを表現する上で、この聖書の物語を暗示的に参照している可能性が高いと考えられます。特に、楽曲全体を通じて宗教的なイメージ(「Jerusalem bells」「St Peter」など)が多用されていることからも、意図的な引用だと解釈できます。

    また、この「銀の皿」のモチーフは、権力の象徴でもあり、同時にその権力の虚しさを表す象徴としても機能していると考えられます。

    こういう、正解のない雑談でもこのレベルで対話ができるのであれば、もう家族や友達がいなくても大丈夫という気にすらなってくる。AIは人の孤独をやわらげて正気を保つための格好のツールになるかもしれない。

  • レジ打ちの行列のように、暇つぶしが必要だがスマホを取り出すほどでもないようなとき、暗算で西暦を干支(十干十二支)に換算して時間をつぶすことがよくある。以下の3つを覚えておくと計算できる。

    • 十干は甲乙丙丁戊己庚辛壬癸(こう・おつ・へい・てい・ぼ・き・こう・しん・じん・き)。中学のときに数学の先生がなぜか教えてくれた。
    • 十干は10個なので西暦の下一桁と一対一対応しており、「4」の年が「甲」。
    • 1984年が「甲子」。

    2025年は下一桁が5なので、十干は乙。つまり今年は乙巳。645年の「乙巳の変」(大化の改新)と同じ。2025 – 645 = 1380年で、1380は12で割り切れるので確かに645年も巳年である。

    戊辰戦争は「戊」なので西暦の下一桁は8であり、幕末〜明治の境目あたりで8が付く年といえば1868年(明治元年)だなと見当が付く。

    辛亥革命は「辛」なので西暦の下一桁は1であり、1910年代だったことを覚えていれば、1911年だなと見当が付く。年代を忘れていたら、今年の6年前である2019年が亥年なので、そこから12の倍数を加減していけばよい。2019年から120を引いた1899年も亥年、そこから12を足した1911年も亥年なので、ああ1911年か、と気づく。

    ということで、受験生には頑張って欲しい。

    十二支同士の間隔は、時計の文字盤を思い浮かべて12時が「子」、6時が「午」というように対応づけを時計のビジュアルで覚えるとすぐ計算できる。自分が丑年(1時)生まれで、相手の干支を聞いて辰年(4時)ですと言われたら、相手は時計の文字盤上で自分より+3または-9の位置にいるので、3・15・27…歳下、または9・21・33…歳上ということになる。年齢を聞くのは憚られるが干支なら聞ける、という場合に役に立つ。逆に、自分との年齢差から干支を求めるのにも応用できる。これで地面師になっても大丈夫。