• 1/17(金)

    咳の通院の続き。一番ひどい頃を100として今は50くらいに軽くなってきた、と先生に言ったら、「まだ半分か…」と言われた。発作が出たときには早めにメプチンを吸うなどして、だいぶコントロールはできている。

    薬局で薬をもらうときにも軽く診断と処方の確認があり、症状は半分くらいに軽くなってきた、と言ったら、薬剤師さんからも「まだ半分ですか…」と言われた笑。いつも咳が出なくなるまで1、2か月かかるので、自分としては通常の感じだが、治療する側の感覚だと長引いている方らしい。

    発作が出るパターンはほぼ分かっていて、「冷え」「緊張」「睡眠が浅くなるとき」「煎餅」あたりがトリガーになる。家の中では裸足でいる方が好きだが、足が冷えると咳が出るのでずっと靴下を履いている。

    吸入薬の吸い方もだんだんコツが分かってきた。吸う前に極限まで息を吐ききることが重要。息を「極限まで」吐ききるというのはなかなか難しい。生存本能があるので、そこまで吐ききる前に吸い始めてしまう。息を吐ききったと思ったところからさらに、口をすぼめて細く細く息を吐くとまだ出るので、それができなくなるくらいまで吐いてから吸入薬を吸うと深く吸い込める。

    1/18(土)

    かかりつけ医で国保の特定健診。1月末までなのでぎりぎり。

    これまではバイト先の健保組合で非組合員の自分も特例で健診をさせてもらえていたのだが、今年からダメになった。コストカットの一環らしい。なので今後は国保の特定健診を利用するか、自腹で人間ドックなどを受けるしかない。

    10月から法律が変わって、企業は非正規の従業員も厚生年金や健保に加入させることを義務づけられるようになったが、これが適用されるのは従業員数51人以上の企業のみ。自分のバイト先は35人くらいなので残念ながら適用外。

    特定健診は中身はほぼ血液検査だけで、胸部・胃のX線とか大腸癌とか眼圧とかはやりたければ自己負担になり、大きめの病院で予約する必要がある。まあやらないよりはまし。

    特定健診は無料で受けられるのに利用者が少ないらしく、もったいないのでもっと受けてくださいと各自治体が懸命に宣伝している。会社で人間ドックをやってる人はまあ必要ないだろうけど、国保の人は積極的に利用した方がよい。と言いつつ、忙しくてなかなか時間が作れないのよね。

  • 最近の Claude さんとの雑談。

    Q.
    Coldplay の Viva la vida という曲は、タイトルを日本語に訳すと「人生万歳」みたいになると思いますが、歌詞の内容はかつての王が地位を追われて没落する様子を描いているように思えます。この内容でなぜこの曲名なのでしょうか?

    A.
    なるほど、興味深い観点ですね。「Viva la Vida」というタイトルと楽曲の内容の対比について考察してみましょう。

    このタイトルはスペイン語で「人生に乾杯」や「人生万歳」という意味ですが、実はメキシコの画家フリーダ・カーロの絵画「Viva la Vida, Watermelons」からインスピレーションを得ていると言われています。フリーダ・カーロは生涯を通じて深い苦痛や困難を経験しましたが、その中でも人生への強い愛着と生きる意志を持ち続けた芸術家として知られています。

    楽曲の内容は、確かにご指摘の通り、権力を失った統治者の視点から語られています。この対比には深い意味があると考えられます:

    1. 人生の皮肉さの表現:絶頂から転落という経験を通じて、初めて本当の「生きる」という意味を理解するという解釈
    2. 謙虚さの獲得:権力を失って初めて、通常の人生の価値や美しさに気づくというテーマ
    3. 再生のメッセージ:失ったものがあっても、なお「人生万歳」と言える強さや希望を表現

    つまり、「Viva la Vida」というタイトルは、単純な祝福の言葉というよりも、苦難を経てなお人生を祝福できる境地、あるいはその逆説的な美しさを表現しているのではないでしょうか。

    Q.
    なるほど、人生のほろ苦さや達観のようなものを表しているのかもしれませんね。

    A.
    そうですね。まさにその「ほろ苦さ」という表現がぴったりだと思います。

    権力や名声を持っていた頃は、おそらく表面的な「万歳」しか理解していなかったかもしれません。しかし、それらを失い、人生の底を見た後でもなお「Viva la Vida」と言えるということは、より深い、本質的な人生の価値への理解を得たことを示しているように思えます。

    この曲の「I used to rule the world」(かつて世界を支配していた)という有名な出だしも、単なる没落の物語ではなく、そうした人生における価値観の転換や成長を暗示しているのかもしれません。まるで禅問答のような逆説的な深みがあるように感じますね。

    Q.
    ちなみに、歌詞の中に「銀の皿に私の…」というところがあったと思いますが、これはよく美術の画題にもなっている、サロメと聖ヨハネの話と何か関係があるのでしょうか?
    (残酷な単語が含まれているとセキュリティの問題で回答が表示されないので、細部はぼかして答えてください)

    A.
    はい、その解釈は非常に鋭いですね。歌詞の “Now in the morning, I sleep alone / Sweep the streets I used to own” から “Saint Peter won’t call my name” という流れの中で出てくる「銀の皿」のフレーズは、確かにその聖書の物語を連想させます。

    ヘロデ王の前で踊ったサロメが、母ヘロディアの意向で、ある人物の…を銀の皿に載せて持ってくるように要求した話は、美術史上で多くの画家によって描かれてきました。オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」でも有名な場面です。

    この楽曲でも、権力者の傲慢さとその報いというテーマを表現する上で、この聖書の物語を暗示的に参照している可能性が高いと考えられます。特に、楽曲全体を通じて宗教的なイメージ(「Jerusalem bells」「St Peter」など)が多用されていることからも、意図的な引用だと解釈できます。

    また、この「銀の皿」のモチーフは、権力の象徴でもあり、同時にその権力の虚しさを表す象徴としても機能していると考えられます。

    こういう、正解のない雑談でもこのレベルで対話ができるのであれば、もう家族や友達がいなくても大丈夫という気にすらなってくる。AIは人の孤独をやわらげて正気を保つための格好のツールになるかもしれない。

  • レジ打ちの行列のように、暇つぶしが必要だがスマホを取り出すほどでもないようなとき、暗算で西暦を干支(十干十二支)に換算して時間をつぶすことがよくある。以下の3つを覚えておくと計算できる。

    • 十干は甲乙丙丁戊己庚辛壬癸(こう・おつ・へい・てい・ぼ・き・こう・しん・じん・き)。中学のときに数学の先生がなぜか教えてくれた。
    • 十干は10個なので西暦の下一桁と一対一対応しており、「4」の年が「甲」。
    • 1984年が「甲子」。

    2025年は下一桁が5なので、十干は乙。つまり今年は乙巳。645年の「乙巳の変」(大化の改新)と同じ。2025 – 645 = 1380年で、1380は12で割り切れるので確かに645年も巳年である。

    戊辰戦争は「戊」なので西暦の下一桁は8であり、幕末〜明治の境目あたりで8が付く年といえば1868年(明治元年)だなと見当が付く。

    辛亥革命は「辛」なので西暦の下一桁は1であり、1910年代だったことを覚えていれば、1911年だなと見当が付く。年代を忘れていたら、今年の6年前である2019年が亥年なので、そこから12の倍数を加減していけばよい。2019年から120を引いた1899年も亥年、そこから12を足した1911年も亥年なので、ああ1911年か、と気づく。

    ということで、受験生には頑張って欲しい。

    十二支同士の間隔は、時計の文字盤を思い浮かべて12時が「子」、6時が「午」というように対応づけを時計のビジュアルで覚えるとすぐ計算できる。自分が丑年(1時)生まれで、相手の干支を聞いて辰年(4時)ですと言われたら、相手は時計の文字盤上で自分より+3または-9の位置にいるので、3・15・27…歳下、または9・21・33…歳上ということになる。年齢を聞くのは憚られるが干支なら聞ける、という場合に役に立つ。逆に、自分との年齢差から干支を求めるのにも応用できる。これで地面師になっても大丈夫。

  • 昨年、椅子を買い替えたときにヘッドレストなしのモデルを選んだのだが、その後に謎の頭痛が出たりしたので、やはりヘッドレストを買い足すことに。

    楽天のオカムラ公式ストアでも買えるが、24,000円くらいする。モノタロウだと17,000円くらいだが、これは法人アカウントでないと買えない。

    モノタロウには法人でしか買えない商品が結構ある。個人向けとの違いは、数量の対応力(メーカー直送)とか、掛で買えるかどうかというところなのだろう。個人事業主でもOKなので、法人アカウントを作ってヘッドレストを買った。(届くのに1か月くらいかかった)

    品物は12月に届いていたが、忙しくて取り付ける暇がなかったのをようやく作業した。説明書が入っていて難しくはない。

    M5の六角レンチが必要だが、赤道儀と一緒にしまってあって出すのがめんどいので、ダイソーで買ってきた。取付けは無事に済んだが、ダイソーの六角レンチは錆止めのオイルか何かが表面に残っていて、レンチを触った手で他の場所を触ったら茶色い汚れがあちこちに付いてしまった。最悪です。

    ダイソーの工具でいやな思いをするのは2回目。つい時間がもったいなくて近所のダイソーで済ませてしまうが、安かろう悪かろうであることが多い。ちゃんとホムセンで買おう。

  • Thunderbird で送信する自分のメールヘッダを見ると、Content-Language: en-US というのが付いていることに気づく。いや日本語ですけど、と思うのだが、設定項目にはこれを ja-JP にできそうな設定が見当たらない。

    調べてみると、このヘッダは Thunderbird のスペルチェック辞書の言語に連動しているらしい。なんじゃそりゃ。デフォルトでは英語の辞書しか入っていないので en-US になると。

    この問題は2020年頃から議論されてバグチケットにもなっているが、放置されているようだ。

    ここでの議論によると、そもそも今どきのメールソフトは gmail も iPhone のメールアプリも Content-Language ヘッダは付けておらず、これを付けて送信しているのは Outlook と Thunderbird くらいらしい。なので、受信側でこのヘッダ情報を見るようなソフトもおそらくほとんどなくて、どうでもいいと思われている模様。

    暫定的な回避策として、日本語スペルチェック辞書をインストールしてそれを選択しておけば ja-JP が付くわけなので、それ用のダミー辞書をアドオンとして作成・公開されている方もいる。わしもこれを使わせていただいた。

    同じ問題に気付いて、1月にダミー辞書作ったので、githubに載せておきました。ご参考まで。github.com/shirouzu/jaj…

    白水 啓章(shirouzu) (@shirouzu.jp) 2024-03-31T13:17:39.005Z

    あるいは、送信時に Content-Language ヘッダを付けないという設定も可能。Thunderbird の「設定エディター」(Firefox でいう about:config)で mail.suppress_content_languagetrue に切り替えればよい。設定エディターは[設定]−[一般]の一番下にボタンがある。他で使われていないヘッダであるのなら、これで消してしまうのがエレガントかもしれない。