見た。あれを見た多くの人は、望月氏は「新しい数学」を切り拓く新時代の天才で、異議を唱える多くの数学者たちは「新しい数学」を理解できない守旧派なのだ、と受け止めるかもしれない。なんかミスリーディングだね、という感想。
人々がヒーローを待望する気持ちは分かる。陰鬱としたこの時代に、大谷翔平や藤井聡太と同じような天才が数学界にもいて欲しい(そして願わくばそれが日本人であって欲しい)というのは、平均的な日本人の心情としては分からなくもない。でもそういう心情と、ある人物の理論が正しいかどうかとは全く関係がない。
何度も書いたことだが、安直なヒーロー待望論に後押しされた研究不正の例は枚挙に暇がない。ヘンドリック・シェーン、黄禹錫、藤村新一、小保方晴子などなど。確かに IUT は研究不正ではないが、世界から異論が出ていたにもかかわらず、実質的な修正をせずに論文掲載を強行した経緯や、望月とその同調者たちの言動の端々からは、研究不正と同根の「不健康さ」を感じて仕方がない。
今回の番組について具体的に列挙すれば、以下の点に問題があると感じた。
- 望月論文が掲載されたのが、望月の所属機関が刊行し、望月が編集委員長を務める「PRIMS」という「内輪」の雑誌であるという事実への言及がない
- 「専門誌で査読が通った=学界から(ある程度の)正しさを認められたと見なせる」という間違った説明をしている
- 「意見の衝突は数学のあり方をめぐる議論なのだ」という不必要に大仰な問題設定ばかりを喧伝していて、望月論文の系3.12に誤りがあるという具体的なギャップの指摘があったことに言及していない
- 京大で望月とセミナーをしたのが Scholze 一人であったかのような説明になっていて、Stix への言及がない
- 望月が Scholze-Stix の名前を出さず「冗長コピー学派 (RCS)」という揶揄を含んだ呼称を反論論文の中で使い続けている不誠実さへの言及がない
- zbMATH で「望月論文は ABC 予想の証明になっていない」という Scholze のレビューが採用されている事実への言及がない
- 「これは私の意見だが、数学的な意味でギャップがあるということでは決してない」「対象に対する認識論の違いだと思う」という加藤文元氏のコメントだけを取り上げ、「具体的な数学的ギャップが系3.12にある」という Scholze-Stix の指摘に触れていない
- 2018年に Scholze、Stix と望月(と星裕一郎)のセミナーが行われ、系3.12をめぐる疑義が出されていたにもかかわらず、望月論文の2020年の最終版では Scholze-Stix との議論や彼らが出したセミナーのサマリーが引用も acknowledgment もされておらず、疑義自体がなかったことにされているが、それについての言及もない
- ロチェスター大の Thomas Tucker 教授が “If ABC is proved, it will be …”(もしABC予想が証明されれば、…)と言っているのに、その部分を翻訳せずに「数論の歴史上最も偉大な進歩と言えるでしょう」「これ以上の偉業はありません」という吹き替え音声と字幕だけをかぶせていて、まるでTucker教授が望月論文の正しさを認めているかのような映像編集をしている
4月15日にNHK BSプレミアムで90分に拡大した「完全版」を放送するそうである。BSはうち見られないんだよね…。