• 校正仕事をしていて気づいたが、Wierzchoś さんという発見者の名前が付いた彗星がいくつかあり、これのカタカナ表記として「フィエチジョシュ」と書かれているケースが散見される。(例:C/2024 E1)

    Kacper Wierzchoś さんはアリゾナ大学の研究者で、カタリナスカイサーベイに携わっており、そのためにいくつかの彗星の発見者となっているようだ。

    Wierzchoś さんはポーランド出身で、この姓もおそらくポーランドのものだが、「フィエチジョシュ」とはさすがに読まないのでは、と思ってご本人にメールで尋ねてみた。すると、何と姓の読み方を音声ファイルで送ってくださった。ありがとうございます。

    この発音を踏まえると、「ヴィルシュホッシュ」または「ヴィエシュホッシュ」という感じの表記が良いのではなかろうか。

    Wierzchoś さんの名前で検索していて見つけたのだが、彼は YouTube にチャンネルを持っていて、ジャズギターの演奏動画を上げている。見事な演奏で、多才な人というのはいるものだなあと思った。動画の背景に本棚が映っていて、天文関係の本も並んでいる。

    近年の彗星は突発天体や地球接近天体を探索するサーベイプロジェクトで見つかることが多く、その場合にはプロジェクト名が彗星名になることが多い(ATLAS彗星、Pan-STARRS彗星など)。一方、サーベイプロジェクトで発見されたにもかかわらず個人名が付く場合もあり、C/2024 E1 (Wierzchoś) もまさにその一例だが、なぜそうなるのかずっと不思議だった。調べてみると、IAU 小惑星センターの「彗星命名ガイドライン」にある “3.4 (a)(2)” という条項によるもののようだ。

    Guideline 2: Regarding discoverers.
    2.1 Comets are to be named for their individual discoverer(s) if at all possible. This means using the last (family) name of the discoverer(s).
    2.2 Sometimes, however, team names are more appropriate.

    (d) … For observing programs consisting of more than two people, the established team/program name will generally be used for the comet name unless Guideline 3.4(a)(2), below, is satisfied.

    Guideline 3: Regarding teams of discoverers.

    3.4 … (a) Individual names of team members.

    (2) If a team (with more than two members) supplies satisfactory written testimony that a single team observer did the work to find the comet and note its cometary activity, measure its position and magnitude (or monitor an automatic computer program that does so), and report this information, then it is acceptable for a comet so discovered by a team program to have that single individual’s name on the comet instead of the program name.

    3人以上からなる観測プログラムで見つかった彗星の名前は観測プログラム名にするのが基本だが、発見や彗星活動の確認、位置測定、測光(またはそれらを自動でおこなうコンピュータープログラムの監視)、報告を単独のメンバーがおこなったという文書での証明をチームが提出した場合には、その個人の名前を彗星名にすることも許容される、となっている。

  • 写真記事「JWST最新宇宙ギャラリー」を執筆いたしました。よろしければご覧ください。

    科学雑誌ニュートン最新号(2025年1月号) 「SFは実現可能か」 | ニュートンプレス

    年1回くらいのペースでHSTやJWSTの最新画像を記事にしており、今回はJWSTの2024年ベストヒッツという感じのラインナップ。

    JWSTは赤外だけあって星形成領域の画像などが凄いが、それ以外に重力レンズ画像もかなり面白いと改めて思った。銀河団の重力で引き伸ばされた遠方銀河のアーク像の中に同じ超新星の像が何個も見えて、しかも像ごとに光路差があるので見え始める時期が数年違うとか、凄いことになっている。

    一番凄いなと思ったのは、記事でも紹介した「クエスチョンマーク銀河」と呼ばれるレンズ像。

    NASA’s Webb Reveals Distorted Galaxy Forming Cosmic Question Mark  | Webb

    A〜Eは遠くにある同一の相互作用銀河が手前の銀河団の重力レンズ効果で蜃気楼のように5個の像に分裂したもの。face-onとedge-onの円盤銀河が衝突してかたつむりのような形状になっている銀河ペアだが、特にAとE。形がまったく同じ。

    同じ天体の像が分裂してるんだから同じで当たり前なんだけど、遠い銀河の像ってもともとぼんやりした斑点にしか見えないものが多いので、「これとこれは実は同じ天体が2個の像になってるんですよ」と言われても、いまいちぴんと来ないものが多かった。こういうふうに具体的な特徴を持った銀河像が確かに複数個に分裂してますね、と分かるようなものが公開されたのはほぼ史上初ではないか。

    よく見るとBも歪みが少なくてA,Eとほぼ同じ形を保っていて、しかもこれはA,Eとは鏡像(裏返し)になっている(重力レンズ像は裏返しになることもよくある)。重力レンズを再現したCGの世界ではこういうのはよく見るが、現実の天体画像でこれほどはっきりと見ることができるのは、さすが開発費1兆円の望遠鏡だけある。

  • 11/24(日)

    @さいたまスーパーアリーナ。椎名林檎/東京事変のライブは久々。林檎博自体も2018年以来。

    今回はアリーナ席が取れたが、一つ前の席が背の高い男性というよくある事態で、ステージはいまいちよく見えず。アリーナ自体に傾斜を付けるとか、ステージを異常に高い場所に設営するとか、花道を作るとか、ということがない限り、アリーナ席のメリットってあんまりないですよね。

    ネタバレできないので詳細は伏せるが、13,000円というチケット代に見合うものを見せようという心意気が伝わるライブだった。直前のアルバム『放生会』がいろんな歌い手とのコラボ作品だったわけで、当然ライブにもゲストが来るよな、と期待していたが、そのへんはもちろん。ただしのっちは来なかった。Perfume は同日に広島でライブをしていたのでまあ無理である。

    今回完全に失敗したのはチケット。FC先行でも外れることがあるという過去の経験から、保険を掛けて第4希望まで応募したら、4枚とも取れてしまった。不要なチケットを譲渡できるチケットトレードがあるが、FC先行で取ったチケットはトレードに出してもFC会員しか買えないというキツいシステム。今回、自分と同じくチケットを余らせている会員が多かったようで、チケットトレードは完全に供給過多だった。

    結局、11/23(土)のチケットは譲渡先が見つかったが、11/21(木)のは売れ残り、自分で行くこともできなかったので13,200円が無駄に。トレードで非会員が買えないというのはちょっとなー。電子チケットで転売リスクは小さいのだから、そこはもう少し改善して欲しい。あとまだ12/15の福岡のチケットもあるんだよ…。これのトレードは12月になってからだが、これも売れなかったらきつい。

    次から、必要な分だけ応募するようにしよう。

  • すごく冷え込んだ数日前から、なんか来た気がする。喘鳴が出て息が吸いづらく、咳をすると血の臭いのようなのが上がってくる。いつもの初期症状のパターン。

    温暖な土地に移住したい。年間を通じて気温が20℃を下回ることがなく、湿潤で、仕事に支障のない地域であることが必要。

    浅田飴やのど飴の残りを探したが、どれも使用期限・賞味期限が1〜2年過ぎ、潮解していた。

    浅田飴の缶は洗って何かに使いたくなる。あの蓋の絶妙なクリアランスに気持ちよさを感じる人は多いはず。

  • 関宗蔵先生より、TENNETに訃報が投稿されたと中里さんから聞いた。

    友人や学校の先生たちの思い出の中で、集団の中で目立つ立場ではなかったのにひときわ強い印象を残している人がいる。東北大天文で教わった先生方の中で、田村さんはそういうタイプの人だった。

    我々が教養部を終えて学部(宇宙地球物理学科天文学コース)に上がったとき、田村さんは助手で、「天体観測」という講義を受け持っていた。業績目録で改めて確認すると、1968年から1994年6月まで、26年間も助手のままだったことが分かる。なぜ?と当時大変失礼なことを最初に思ったのを記憶している。(組織における人事や昇任にはいろいろな機微があることを後に知った。先生は後に1996年に東北大学大学院教授に就任され、7年後の2003年に定年退官。)

    大変優しい先生で、学部3年で学科に配属されたばかりの我々の名前をすぐに全員覚えてくれた。毎年全員の名前を覚えることにしている、と最初の講義で仰っていた。そんな先生は他にいなかった。

    当時は天体撮像の分野でも銀塩写真に代わってCCDカメラが本格的に使われるようになった時代で、我々の一つ上の学年では、田村先生の指導でCCDカメラを自作するということをやっていた記憶がある。そのための教科書として、洋書の The CCD Camera Cookbook という本を参考にされていた。我々の天体観測の授業でも、ことあるごとに田村さんが「クックブックが…」と言っていた、その口調を今も覚えている。

    当時の東北大は自前の天文台を持っておらず、理学部物理棟の屋上にドームがあって、日本光学製の年代物の反射赤道儀があった。口径20cmとか30cmとかそのくらい。

    天体観測の授業の中で学科内を見学して回る日があり、ドーム内でCCDカメラの開発をしている先輩(中里さんか三輪さん)の作業を覗かせてもらったことがあった。しばらく見た後、田村さんと他の学生はドームを出て次の場所に行ったのだが、僕と数人はなぜかその場に残ってずっと説明を聞いていた。面白かったせいか、あるいは先輩の話が終わらなくてお暇しづらかったからかもしれない。しばらくして、我々がいないことに気づいた田村さんが戻ってきて、「あ、ここにいたのか(笑)」といって呼び戻してくれた。怒られるかと思ったけど怒られなかった。

    天体観測の実習で、夜にドームの望遠鏡を使って1等星の分光をしたのも覚えている。苦労して望遠鏡視野のスリットの上に恒星を導入し、分光された光を1次元のCCDセンサーで受けて、そこからのデータ出力をRS-232C経由でPCに取り込んでスペクトルのグラフを描く、というようなことをした。水素のバルマー系列の吸収線がちゃんと見えて、星のスペクトル型によって線幅なども違っていることが分かって面白かった。東大・京大の天文に比べれば設備的にも地味な学科だったと思うが、その中でも田村さんは、本物の観測天文学の入口を学部生の我々に経験させようと奮闘していたのだと思う。

    田村さんの専門は惑星状星雲や共生星で、Osterbrock の Astrophysics of Gaseous Nebulae and Active Galactic Nuclei という有名な本を翻訳されている。天文業界で (AGN)2 とか AGNAGN と呼ばれている本。

    自分は大学院からは仙台を離れたので、田村さんと同じ場所にいたのは2年だけだが、とにかく優しい人だったなという印象。ラフな格好をしていることがなくて、いつでもスーツかジャケットを着ていた。

    自分が仙台を離れた後に、どこかの学会に出張したときだったか、電車の中で田村先生と偶然会って、少しの時間だけサシでお話をさせていただいたことがあった。共通の話題というと東北大時代の先輩・同級生・後輩の話くらいしかないので、そんな話をして、池田君(自分の一つ下)が今も頑張って活躍していますね、というような話を聞いた。

    人が亡くなった後でできることはほとんど何もないが、その人の思い出をこうして自分なりにまとめて形にしておくことは、数少ない、できることの一つだろうと思っている。ご冥福をお祈りします。