のプラグイン(ブログエントリの末尾に付けている SNS シェアボタン)についに Bluesky のボタンが追加されたので付けてみた。
なお、取得した Bluesky アカウントは現在ほぼ全く使っていない。久しぶりに、めぼしいアカウントをフォローなどしてみた。知っている人があまり見つからない。
JAXA とか、先にアカウント取られちゃってますね…。
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なお、取得した Bluesky アカウントは現在ほぼ全く使っていない。久しぶりに、めぼしいアカウントをフォローなどしてみた。知っている人があまり見つからない。
JAXA とか、先にアカウント取られちゃってますね…。
数学としてはどうやらハズレらしいと判断して以来、あまり追いかけていなかったが、朝日新聞にまた違和感のある意見記事が載っており、そういえば最近どうなってるんだろう、と思い出した。
IUT論文が恐れられているとは寡聞にして知らなかった。有料部分も読んだが、議論が膠着しているという主張や、望月氏は芸能ネタもいける親しみやすい人柄であるというどうでもいい情報、川上量生氏による例の賞金の話(後述)など。新しい話は特にない。
一連の問題について自分が以前に書いたものは、タグ「abc」で読める。
これまで書いたことの繰り返しになるが、IUTが著しく評判を落とし、見捨てられた理由は大きく2つある。数学としての問題と、望月氏及び周辺の人々の学問的誠実性の問題。数学コミュニティから見放された本質的理由は後者にあると自分は思うが、石倉記者をはじめ、IUTに大きな期待を寄せているらしいピュアな人たちは、前者の問題には言及しても、後者の問題にはなぜか全く触れない。
以下の点に尽きる。
欧州数学会他が運営する世界的な数学文献データベース「zbMATH Open」でも、望月論文にはScholzeによるレビューが付いており、ABC予想を証明したという論文の主張は明白に否定されている。これに代表されるように、望月グループの外では望月論文は否定的に受け止められている。
とは、以下のようなこと。
書こうと思って忘れていた件などいろいろ。
ZEN大学はドワンゴ創業者の川上量生氏が設立しようとしているオンライン大学。まだ存在しない大学に研究拠点の設置もクソもないのだが、所長が加藤文元(元東京工業大学)、副所長が Ivan Fesenko(西湖大学)。もちろん望月グループの人たちである。
併せて、IUTの発展に寄与した研究者に贈る賞を創設したとのこと。
IUT Innovator Prize と IUT Challenger Prize があり、第1回の Innovator Prize は望月など5名による2022年の論文に贈られた。一応、Fesenkoは賞金を辞退したので、4名に10万ドル贈られる(10万ドルずつではなく、10万ドルを4分割なのかな)。
こういうのを普通は「お手盛り」というのだろう。IUT一派がカワンゴから金を引っぱって自分たちの懐に入れるためのスキームにしか見えない。この人たち、本当に研究者なんでしょうか?
上で挙げた学問上の誠実性の問題を放置したまま、望月氏のグループがIUTのアウトリーチという名目でこういう生臭いことばかりやっているのを、海外の数学コミュニティの人々はちゃんと見ている。以下の Peter Woit 氏(コロンビア大学、数理物理学)のブログエントリのコメント欄には数学者や数学専攻の学生と思われる読者が常時多数のコメントを寄せており、このエントリにも望月や彼の仲間の言動に対する失望、悲しみ、怒り、憐れみなどが書き込まれている。
望月論文は無駄に長く、無駄に珍奇な概念ばかり振り回して読みづらいこと山の如しなので、もう少し既存の数学の言語で書き直してみよう、という試みをしている研究者が数人いる。
その一人である Kirti Joshi(アリゾナ大学)が3月末に、既存の数論幾何の枠組みを使い、望月の系3.12のギャップを埋めて改めてABC予想を証明したと主張する論文を発表した。
これについては Scholze が MathOverflow のコメントで、Joshi の証明に明らかにおかしい箇所があると指摘している。
一方、望月も自分の web サイトで Joshi 論文を否定する文章を公開している。奇しくも、IUT で対立している Scholze と望月の両方から否定された形。
MO での Scholze の指摘は穏やかだが、望月の文章は相変わらず太字と斜体を多用して相手を口汚くこき下ろす文体。「Joshi論文はまるで ChatGPT のハルシネーションのようだ」とか何とか。
Joshi の論文で重要な定理の番号がたまたま「定理 9.11.xx」となっていることを取り上げて、「”9.11″ なのは偶然なのか、それともある種のレトリックかユーモアなのか」などと心ないイジりをしている箇所もある。
[where we note that it is not clear whether or not the number “9.11…” assigned by the author to these key results in [CnstIII] was purely coincidental or a consequence of some sort of sense of rhetoric or humor that lies beyond my understanding].
REPORT ON THE RECENT SERIES OF PREPRINTS BY K. JOSHI, Shinichi Mochizuki, March 2024
逆のケースを考えてみれば分かるが、日本人が書いた論文への反論に、「ところで君のここの定理番号が 8.6 なのは原爆投下の日付と同じだけど、なんか意味があるのかな」みたいな冗談が混ざっていたら、果たしてどう思われるだろう。
まあ望月氏はこういう人なのだと言えばそれまでだが、科学的議論の場に平気でこういう物言いを混ぜ込む態度が、彼の仕事を真剣に評価する気持ちを萎えさせ、IUTが見捨てられる一因になっている。
IUTを救いたいのなら(今から救えるとも思えないが)、いい加減気づいた方が良いのではないか。本当に、望月氏とその取り巻きグループにはさまざまなレベルでの不誠実が多すぎる。そこから目をそらし、「IUT スゴイ! 日本スゴイ! 海外の連中には難解すぎて凄さが分からないんだって!」とか「無視せずもっと議論すべき」みたいな薄っぺらいことを取り巻きやファン連中が言ってもね、まともな人たちはもう見透かして冷めきってるわけですよ。
数か月前からUIが変わってしまって使いづらい。仕事でPDFファイルに線を描いたりテキストを書き込んだりすることが多いが、新UIは旧UIに比べて、同じ操作をするのにステップがかなり増えてしまっていて、いちいちストレスを感じていた。
…と思ったら、[表示]-[新しい Acrobat Reader を無効にする] で旧UIに戻せることが判明。うわー。俺の数か月を返してください。
上で書いたような作業をするには旧UIの方がずっとやりやすい。助かった。
夜ウォーキングで夜桜を撮る。まだ散っていない。
長年使っていたやつをついに買い替え。Buffalo の WHR-HP-G300N というやつで、いつ買ったのか覚えていないが、2009年発売の製品らしい。
元々は ADSL モデムにつないでいたが、光回線にしたときにメインのルーターとしては退役させ、2階専用にAPモードで使っていた。最近いよいよ不調になってきたのと、光回線の事業者変更をするにあたってOCNバーチャルコネクト (IPoE) 非対応のルーターは使えなくなりますよと言われたので、捨てることにした。今までありがとう。後継機は Buffalo WSR-1800AX4P。Buffalo ばかり使っている。
買い物のときにビックカメラのポイントカードを出したらバキバキに割れていた。財布の中で尻の圧力を長年受け続け、破壊したようだ。裏に (9909) と印刷されているが、1999年9月に作ったものだろうか。もしそうなら25年物。今後はスマホアプリを使うことに。
そういえばヨドバシのカードも数年前に交換した。バーコードが摩耗して読めなくなったんだったか。これもアプリに替えるか。その方が財布が薄くなって良い。
4/6、映画を見た後、池袋で買い物。秋葉原に移動して買い物。
春になると冷たい蕎麦を食べたくなる。秋葉原の嵯峨谷は行列ができていたので諦め。神田明神下にスコア4点台の蕎麦屋があると知り、明神下までてくてく歩いて「おしん」というお店へ。
大衆店ではなくわりと高級店。たまにはいいだろうと入店してかき揚げせいろそばを食べた。そうめん並みに細く切った十割蕎麦で美味かった。ただし量はお上品。蕎麦粉は日によって変わるらしい。かき揚げも、ぷりぷりの小エビが具のほぼ全てを占める贅沢なものだった。
蕎麦湯がポタージュのように濃くて驚いた。蕎麦のゆで汁というより、改めて蕎麦粉を溶いて煮てるんじゃないかと思うくらい。蕎麦が少なめな分、蕎麦湯で満腹感を補えてちょうどよい。
で、やはりもの足りないのでケーキでも食べたいと思い、喫茶店を目指して移動。神田明神まで来たのでまずお詣り。門前の桜が咲いていた。
電線を避けた構図にできないところに、自分の詰めの甘さを感じる。
土曜なのでわりとお詣りの人がいて、「真ん中は神様が通る道だから通らないように」と子供に注意しているお母さんがいたりした。毎回言ってるけど、それって平成以降に出現した嘘マナーじゃないの? と思う。自分の記憶では、昭和の頃にそんなことを言ってる人はいなかったと思うのだが。「正中」の話が正しいなら、鎌倉の鶴岡八幡宮の参道なんか歩けないじゃん。あれだって二の鳥居の内側なんだから。人間が歩かないものをわざわざあんな長距離整備しないだろう。そもそも神道の神って本殿より奥(の天上)にいて、必要に応じて降りてくる的な設定なんでしょう。三輪山信仰なんて背景の山が御神体だったりするわけで。神様が神社の下手から参道を歩いて来たりはしないわけですよ。ほんと、このマナーに関しては全く納得がいっていない。
二拝二拍手一拝も、昭和の頃にそんなのやってる人がいた記憶がない。神主でもない庶民の参拝客がそこまでやる必要はないと思っている。そこまでやるなら拝殿にお尻を向けずに後ずさりしながら帰らないと神様に失礼でしょう。論理のバランスが取れてないと思うわけです。
俺の感覚とほぼ同じことを書いている人がいた。
お詣りを終えて、門前の喫茶店「乙コーヒー」でブレンドとチーズケーキのセットを食す。雰囲気が良い。コーヒーはもう少し酸味がない方が好み。