• 4/6、映画を見た後、池袋で買い物。秋葉原に移動して買い物。

    春になると冷たい蕎麦を食べたくなる。秋葉原の嵯峨谷は行列ができていたので諦め。神田明神下にスコア4点台の蕎麦屋があると知り、明神下までてくてく歩いて「おしん」というお店へ。

    大衆店ではなくわりと高級店。たまにはいいだろうと入店してかき揚げせいろそばを食べた。そうめん並みに細く切った十割蕎麦で美味かった。ただし量はお上品。蕎麦粉は日によって変わるらしい。かき揚げも、ぷりぷりの小エビが具のほぼ全てを占める贅沢なものだった。

    蕎麦湯がポタージュのように濃くて驚いた。蕎麦のゆで汁というより、改めて蕎麦粉を溶いて煮てるんじゃないかと思うくらい。蕎麦が少なめな分、蕎麦湯で満腹感を補えてちょうどよい。

    で、やはりもの足りないのでケーキでも食べたいと思い、喫茶店を目指して移動。神田明神まで来たのでまずお詣り。門前の桜が咲いていた。

    電線を避けた構図にできないところに、自分の詰めの甘さを感じる。

    土曜なのでわりとお詣りの人がいて、「真ん中は神様が通る道だから通らないように」と子供に注意しているお母さんがいたりした。毎回言ってるけど、それって平成以降に出現した嘘マナーじゃないの? と思う。自分の記憶では、昭和の頃にそんなことを言ってる人はいなかったと思うのだが。「正中」の話が正しいなら、鎌倉の鶴岡八幡宮の参道なんか歩けないじゃん。あれだって二の鳥居の内側なんだから。人間が歩かないものをわざわざあんな長距離整備しないだろう。そもそも神道の神って本殿より奥(の天上)にいて、必要に応じて降りてくる的な設定なんでしょう。三輪山信仰なんて背景の山が御神体だったりするわけで。神様が神社の下手から参道を歩いて来たりはしないわけですよ。ほんと、このマナーに関しては全く納得がいっていない。

    二拝二拍手一拝も、昭和の頃にそんなのやってる人がいた記憶がない。神主でもない庶民の参拝客がそこまでやる必要はないと思っている。そこまでやるなら拝殿にお尻を向けずに後ずさりしながら帰らないと神様に失礼でしょう。論理のバランスが取れてないと思うわけです。

    俺の感覚とほぼ同じことを書いている人がいた。

    お詣りを終えて、門前の喫茶店「乙コーヒー」でブレンドとチーズケーキのセットを食す。雰囲気が良い。コーヒーはもう少し酸味がない方が好み。

  • 4/6、@グランドシネマサンシャイン池袋。IMAX レーザーGT(謎)の方で観た。最上階なので見晴らしが素晴らしい。朝一の 08:20- の回にした。何しろ長いので、後の回にすると観劇後に何かする予定を入れられなくなる。

    IMAX で日本最大とかいうスクリーンだったらしい。あいにく後ろの席が売り切れていたので4列目を購入したが、やはり日を変えてでも、もっと後ろが良かったかも。前の席だとビルの外壁を見上げるような感じで、被写体のパースがよく分からなくなり、字幕ばかりが大きく視野を占める状態になる。

    以下ネタバレあり。

    20世紀半ばのスター物理学者がたくさん登場するので、前半のマンハッタン計画までの話は「これが誰それか」「この人は本物に似てる」「この人は似てない」といちいち考えながら観るのが面白い。キリアン・マーフィーのオッペンハイマーとマット・デイモンのグローブズ准将はすごく似てた。エドワード・テラーも雰囲気はよく似てる。ボーアは全然似てなかった。アインシュタインも大して似ていないが、あの髪型と口髭があればまあアインシュタインにはなる。ハンス・ベーテは禿げの俳優がやっていたので、最初の方はフェルミだと勘違いした。マンハッタン計画時代の写真を見ても、ベーテはそこまで禿げてはいない。

    フェルミはシカゴ大で史上初の原子炉 CP-1 を作って臨界を達成した後、1944年9月以降はロスアラモスにいたらしいが、映画では CP-1 のシーン以降、全然出てこなかった気がする。

    ジョン・フォン・ノイマンも全然出てこないのが不思議だった。映画のオールキャストを見てもフォン・ノイマンはいない。彼が爆縮レンズの計算をやり遂げたおかげでプルトニウム原爆が実現したことは有名。まあ実際、彼はロスアラモスに常駐ではなく、ふだんはワシントンにいてたまにロスアラモスに来る感じだったらしい。科学史としてはフォン・ノイマンに言及しないのはありえないが、映画はあくまでもオッペンハイマーの話なのでそこは削ったということか。WW2とそれ以降のフォン・ノイマンの仕事については以下の記事に詳しい。

    リチャード・ファインマンは当時若手で、劇中でも名前が出るシーンは特になかったが、パーティーでやたらボンゴを叩いていたのと、トリニティのときに車のフロントガラス越しに見れば紫外線を避けられるからサングラス要らねぇ、と言ってた人物がたぶんファインマンですね。『ご冗談でしょう、ファインマンさん』にその回想が出てくる。

    全体的に、科学史だけの映画というわけでもないので、科学の話を見たい人は少し物足りなさを感じ、そういう話を知らない人は情報量の多さに置いてけぼりにされそう。自分が監督なら、例えばアーネスト・ローレンスの登場シーンで「西部警察」のOPのようにいったん映像を止めて、彼は当時の米国の実験物理のエースで、現代の粒子加速器の原型となるサイクロトロンを発明してノーベル賞をとって素粒子実験物理を開拓した人で、アクチノイドの一番後ろの103番元素ローレンシウムに彼の名前が付いているよ、というような補足説明をいちいちしたくなるが、実際には研究室でトンテンカンテンやっているローレンスが出てきて、二言三言会話するだけで話がどんどん進んでいくという具合。いちいち映像を止めて蘊蓄を入れていく上映会みたいなのをサイエンスカフェで観てみたい。

    CGを使わないノーランの映像は素晴らしかったが、トリニティ実験の火球の再現は正直言ってちょっとしょぼさを感じた。やはり所詮は化学的な燃焼だなぁという感じ。ただ、我々が後世の水爆実験の映像などを見慣れているせいで脳内のイメージがインフレしすぎているのかもしれない。トリニティ・広島・長崎の出力は10-20ktなので、水爆のようではないはず。映画を見た後でトリニティ実験の記録映像↓を見ると、それほど悪くなかった気もしてきた。

    この映像には比較するものが映っていないので距離感が分かりづらいが、爆心から9kmの位置から撮影されたと書かれているので、東京駅で起きた爆発を中野駅から眺めるくらいの距離になる。そう考えるとこの火球のサイズはやはりとんでもないし、そんな広大な面積にわたって平らな砂漠が広がっている米国は凄い。

    後半の赤狩り時代の話は重くて救いがなくて、そこが良かった。敵役のルイス・ストロースAEC委員長が送り込んだ弁護士たちがオッペンハイマーの親ソ的言動や行動の矛盾を激詰めするときに発せられる質問は、もちろん一個人に責任を負わせるべき話でもないのだが、ある面では真理を突いていて、派生して答の出ないたくさんの問いを観客の頭に去来させる。ナチスドイツに先んじるための原爆開発はOKで、ソ連に先んじるための水爆開発はなぜダメなのか、ナチスが降伏して目的を失ったのに開発を続けて日本に落としたのは正義なのか、早く終戦させて犠牲者を減らすために大量殺戮をするという論理はありなのか、大国だけが核を保有してオープンに管理するという理想は本当に理想なのか、などなど。今、ロシアが安保理常任理事国でありながら核恫喝をちらつかせて侵略戦争を続けていたり、1000人殺された報復に3万人殺しているイスラエルの状況があったりするが、これらの話をどうすればいいのかという今の私たちの問題が、どうしても頭に浮かぶ。

    広島・長崎に関する言及や描写は、少なくとも作中に登場した数字に過小な感じはなかった。ストライプの服を着ていた人はストライプの模様通りに火傷を負った、爆風を避けられて喜んだ人々が数週間後に死んでいった、といった会話は、日本人の感覚からするとまだ生ぬるく、それを被害の全部だと思わないで欲しいとは思うが、当時の米国人同士の会話だと思えばまあそんなところかも。実験成功後の祝賀会でオッペンハイマーが怖ろしい幻想を見るシーンあたりにノーランの意思は表れている。この内容なら、日本での上映をためらうこともなかったのでは、と思うが、どうなんだろう。

    全体的に、分かりやすい善人や悪人が一人も出てこなくて、オッペンハイマーを含め、みんなそれぞれ善良さと胸糞悪い部分を持っているのがリアルで良かった。最近、良かった映画はだいたい2回以上観ているので、これも多分もう一度観に行く。スルーしたところを見直したい。

  • 階段から落ちた日の翌日くらいに、咳をしてもなかなか息が通らなくて強く咳き込んだら左の肋骨あたりに強い痛みを覚えた。あ、これ肋骨やったかな、と思いつつしばらく放っておいたが、階段から落ちたケツの打撲と肋骨の痛みでなかなかハードな日々だった。仕事をしながら、数時間おきに横になって休憩したり。深呼吸をして胸郭が広がったり、寝た姿勢になったりすると胸が痛む。座った姿勢でいると尻が痛む。眠りが浅い気がする。

    そんな感じで痛みと闘いながら書いた原稿がようやく手離れしたので、整形外科へ。レントゲンでは明白な骨折はみられず。微小なヒビだと映らないので、そういうのがあるのかも、との診断で、鎮痛剤だけ出してもらった。

    前にも咳で折れたことあったな、と思って検索したら、7年前の4月だった。このときははっきり骨が「く」の字に折れていたのを思い出した。

    shioさんに教えてもらった「ななすけの散歩録」が面白くて、上がっている動画は全て見た。

    短髪美人のななすけさんが散歩する番組。目力と👍とシャドウボクシングと犬が良い。街の歴史や暗渠の話をしてくれるので、ブラタモリ亡き後はこれを見れば良いのではないかと思った。三鷹の回で、なぜ太宰はあんな流れがちょろちょろの玉川上水で入水自殺できたのかという話を説明してくれていて、勉強になった。

    飯(街食堂)と茶(喫茶店)と犬を大事にしているところが良い。フォーマットが決まっていて、ナレもアフレコのみで作っているのが落ち着いていて大変見やすい。声のことや、なぜこういう動画を作り始めたのかについては過去の番外編で一問一答している(1,2,3)。すぐに登録10万人超えるのではなかろうか。ただ、ファンと称する教え魔おじさんもたくさん寄ってきそう。寄ってきたら殴れ。鳩尾を。

    動画作成は未経験だったというが、カメラの構図や編集のセンスがキレッキレで凄い。こういうふうに才能があって何かやりたい人は、一昔前ならテレビ業界やメディアに行ったのかなと思うが、今はもう自分でYouTubeでやって稼げるわけだし、そりゃあテレビがあれだけスカスカになるわけだな、と納得。

    ご本人のtwitterも素晴らしい。下のLINE画像は見たことがあったが、ななすけさんだったとは。

  • 冬に剪定した枝から新しい芽が吹いてきた。

    剪定は経験がなくて、例によってYouTubeでいろいろ調べた。「こういう切り方をすると枯れます!」みたいな脅しサムネをよく見かける。再生して欲しいがために、動画のサムネってどんどんケバくどぎつくなっていくよね。地上波のテレビもそうだが。馬鹿にされてるなぁと思う。まあ見るんですけど。

    新芽は新しい枝から出るので、枝を根元から全部切ってしまって幹だけの丸坊主にすると枯れてしまうリスクが高まるらしいということが分かり、新しめの枝を中途半端に残して剪定したが、正解かどうか分からない。結果、残した枝から芽がたくさん吹いてきたのでまあよかった。桑は強いので適当な切り方をしてもほぼ枯れない気もする。

    本当は桑の実が付くようにしたいけど、枝ばかり高くなるものの、実が成ったことが一度もない。

  • 大谷の専属通訳氏の話題をきっかけに、父のことを改めて考えたりしている。何か書いておこうと思ったが、死んだ直後に書いたものを改めて読み返すと、我ながらよく書けていて、特に足すこともなかった。

    自分は精神科医ではないので、父がいわゆるギャンブル依存症だったのかどうかはよく分からない。どちらかというと、ギャンブル依存というよりは誇大妄想に近い感じもする。林公一先生のサイトで、何となく父と傾向が近い相談を見つけた。

    ただ、誇大妄想というのはあくまでも症状の呼び名であって、大もとが何の精神疾患なのかはいろいろあり得るようだ。

    改めて母とも話したところ、父と母がまだ交際していた頃からすでに、父が母に金を貸して欲しいと言ってきたことがあって驚いたとか、俺が生まれたときに、出産費用として貯めていた母の預金を父が勝手に引き出して使っていた、などという、50年生きて初めて聞く父のクズエピソードが出てきて、おいおいまだそんな破壊力のある話が埋もれてたのかよ、と呆れた。よく別れなかったな…。

    水原とうちの父が同類だったかどうかは分からないが、一つ思うのは、妻をぶん殴って無理やり財布から万札を抜き取って競馬場へ行く、みたいな賭博依存症のイメージは、実相とはかなり違う、という点。すごくいい人で面倒見もよくてやさしくて話も面白くて、という人が、家族や他人の金に手を付けて、問い詰められると上手に嘘や言い訳を駆使して逃げおおせて、ほとぼりが冷めた頃にさらに金を引き出そうとしたり、無理そうだと次のカモを見つけに行ったりする。こういう行動を罪悪感なしにやってくる。

    父の場合は、「競馬でトータルの収支をプラスにできる理論がもう9割方完成している」という妄想を自ら信じ、「口が堅いと見込んであなただけに教えるのだが…」という形で、理論を完成させるための資金を援助して欲しい、と言って複数の人から金を借りていた。「あなたに絶対に迷惑はかけない」みたいなことをすごく軽く口にするんだよね。一見、非常に好感の持てる性格に見えるが、「金」と「言葉の重み」に関するモラルだけが完全に欠如している、今思えば大変にアンバランスな人格だったし、父が家族にしてきたことは結局、殴らない暴力みたいなものだった。

    特に足すこともないと言いつつ、いろいろ書いてしまった。

    夏日で暑い。