• Woit さんの3月4日の blog に追記あり。


    ABC is Still a Conjecture | Not Even Wrong

    論文の出版と同時に望月氏が公開した65ページにわたる文書について。俺もこの文書を拾い読みしてみた。望月氏の英語は一文がやたら長く大変読みづらいので、俺の英語力では拾い読みしかできない。

    文書は3つの節からなっていて、最初の §1 ではIUT論文の出版に関する一連の情報が非専門家向けにまとめられている。PRIMS が信頼できる論文誌であること、今回のIUT特集号の編集に当たっては、望月氏自身は編集委員会から外れ、代わりに柏原・玉川両氏が編集委員長を務めたことなどが書かれている。また、朝日新聞の記事を引用して、玉川氏が「査読には100%自信を持っている」と発言したこと、森重文さんと黒川信重さんが今後のIUTの数論への応用について期待している旨を述べたことに触れている。嬉しそうだ。石倉記者のような熱心なエヴァンジェリストが付いてくれるのはまあ嬉しいだろう。

    §1 の残りと §2,3 の大半は、2018年に Scholze と Stix によって提起されたIUTへの反論をこき下ろすことに費やされている。望月氏は、理由はよく分からないが両氏の名前を出さず、Scholze, Stix に同意する(国外の数学コミュニティの大半の)人々のことを “RCS” (redundant copies school; 冗長コピー一派)と呼んでいる。曰く、RCSの信奉者はIUTを極端に単純化しすぎた偽のIUTを作り出し、根本的な誤解に基づく反論を冗長に繰り返している、と。

    さらに曰く、2018年3月に私(望月氏)は Scholze, Stix と議論をし、何度かメールをやり取りした。私には議論を続ける用意があったが、二人はこれ以上の議論を望んでいないように見える、と伝えたところ、2018年8月に、「おっしゃる通り、これ以上議論することには興味がない」との返答をもらった、と。

    さらに曰く、私は、双方の代表者として別の参加者を呼んで議論を続けた方が生産的なのではないか、誰か候補者を挙げてくれないかと頼んだが、二人からは返答がなかった、と。

    さらに曰く、これまでに何年もたくさんの数学者と議論をし、私と付き合いのある数学者は二人による10ページの反論文を検討したり、RCS 派が blog で行っている数学的議論を研究したりしてくれたが、結局どこにもまともな内容はなかった、と。

    これ以降は、RCS派の反論がいかに的外れであるかを延々と書き連ねているようである。(読むのに力尽きた)

    この文書を読んだ Woit 氏のコメントは以下の通り。(訳すのがしんどいので DeepL 翻訳を一部使った)

    文書をざっと見たが、これを読んで、望月の証明の欠陥を指摘した Scholze が間違っていると納得する人はいないと思う。最後の §3 は長い技術的な話だが、最初の2つのセクションは望月の信頼性に大きなダメージを与えている。どこにも Scholze や Stix の名前は出て来ないが(彼らは “RCS: the redundant copies school” と呼ばれている)、文書は以下のような記述で始まる。

    • 私(望月)が RCS の主張について技術的に意味のある議論をしたすべての数学者の反応は、完全に一様で一致していた。RCS のこれらの主張は明らかに数学的に完全に不正確/不条理であり、RCS の支持者がなぜそのような、明らかに不条理な主張を続けているのかわからない、というものだ。
    • RCS の主張は、明らかに IUT 理論の数学的内容と本質的な論理構造を技術的に正確に理解していない人々による、IUT 理論に対する無意味で表面的な誤解以外の何物でもない。

    より技術的な §3 の前に、§2 では Scholze と Stix の何が間違っているのかについて、ある種の「説明」として、初歩的な数学的誤りについての広範な議論が行われている。

    望月が最初の2セクションで要するに主張しているのは、彼と同じ専門分野の最も優秀な若い数学者(訳注:Scholze のこと)を「無知な無能者」呼ばわりし、これについて望月が助言を求めた他の人々も全員が彼に同意している、ということだ。望月が自分自身への信頼を破壊し、わざわざ §3 を読んで理解しようとするまでもない、と読者に思わせるのにこれほど効果的な方法は思いつかない。

    Scholze-Stix の文書への直接のリファレンスはなく、2018年3月頃の望月氏自身のWebページへのリファレンスがあるだけだ。望月はわざわざ、自分のWebページを読まなければ Scholze-Stix 文書にアクセスできないような細工すらしている。

    重要な指摘をしてくれたはずの Scholze, Stix への敬意が、望月氏本人だけでなく彼の取り巻きや PRIMS の編集委員会にすら全くなく、「なかったこと」にされている点を Woit さんは大変怒っている。

    また、米・ノートルダム大学の Andrew Putman さん(幾何学的群論、低次元トポロジー)は twitter で、望月氏が論文の謝辞でも Scholze と Stix を acknowledge していないと述べている。

    これを受けて、米・カリフォルニア大学バークレー校の Juliette Bruce さん(代数幾何学・可換代数・数論幾何)は twitter で、「うう、ちょっと吐き気がする。悲しい」とツイートしている。

    俺自身は元数学専攻ですらない一門外漢で、論文の内容を理解する能力を持たないが、こういう、望月氏とその周辺で観測されるさまざまな事象を眺めた上での素人判断として、IUTはハズレで、これを通してしまった京大数理研も終わっとるのではないか、と感じる。※ 個人の感想です。

    フィールズ賞受賞者がわざわざ来日して何日間もセミナーを一緒にやってくれたのに、その反論を「低レベルな誤解」呼ばわりし、「向こうが先に議論を打ち切った」と言い張り、反論の存在自体を完全無視して謝辞にも載せない、というのは科学界の信義則に反しているように見える。また、論文の内容に十分自信があるのなら、内輪の雑誌である PRIMS ではなく、海外のしかるべき雑誌に投稿して査読を受ける方がずっと透明で評価も高まるはずなのに、自分が編集委員長を務める雑誌を使うというのもなんかセコい。※ 個人の感想です。

    研究不正とは違うが、IUTには病的科学の香りをすごく感じる。

    • 論文を理解できる人が限られていて、大多数の人は望月氏の前評判とオーラだけを信じて盛り上がっている
    • 「日本人が abc 予想を証明! 数学史に残る偉業!」というナショナリズムをくすぐるワードに多くの人が酔っている
    • 内容を真に理解しているわけではない一部の大御所が肯定的な評価で後押ししている
    • 京大以外の国内の同業者が沈黙(黙殺)している

    というあたり、STAP細胞騒動の初期の図式に酷似している。(個人の感想ですので、いちいち噛み付いてこなくて大丈夫です。ごちそうさま。)

  • 人が別の誰かに精神的に支配されて、金をむしられたり自分の家族を殺してしまったりする事件がたまに起こる。大の大人がなぜこんなにあっさりと他人にコントロールされてここまでのことをしでかしてしまうのか、と思うわけだが、人を支配しようとする人は一定の割合でいつでもどこにでもいる。そういう人のコントロールを拒絶できない人も一定の割合でいる。

    支配欲をぶつけてくる人間を拒むのには訓練が要る。保育園から小学校低学年にかけて、立て続けにこのタイプの同級生から目を付けられていろいろされた。対処法を身に付けて克服できたのは小学3年以降だった。

    幼少期の自分は体格も小さく、運動が苦手で自己主張も弱い子供だった。保育園の頃、M君という子から子分扱いされていた。直接暴力を受けたことはないが、一緒に遊びたくないのに断れず、いやいや毎日くっついて、M君のいいなりになっていた。M君宅の庭で裸になれとか言われて、いやいや裸になったこともあった。断ろうとするとやや強い言葉で脅しをかけてくるような感じで、断れなかった。この手の人間は外ヅラがいい。第三者の目がある場面では子分に決して圧力をかけない。おそらく傍目には「いつも一緒にいる仲良し」にしか見えなかったのだろう、M君と俺の間に主従関係があったことに多くの大人は気付かなかった。

    母親は俺がいやいや言いなりになっていることに気付いていて、勇気を出してノーと言わなければダメだといつも言っていた。結局、小学校に上がってクラスが分かれたことがきっかけで関係を切ることができた。

    しかし、小1では新たにS君という子からやはり目を付けられ、子分扱いされた。一緒にいて少しも面白くないのに、いやいやS君の遊びに毎日付き合っていた。

    ある日限界に達して、校舎の階段の踊り場でS君からの誘いに「いやだ」と言った。「何でだよ」と俺の腕を引っぱるS君を必死で押し返して「いやだ!」と大声を出したら、予想外の反応にひるんだようで、「じゃあいいよ」と諦めてくれた。その後、2年になるとS君は転校していって、心底安心したのを覚えている。

    3年のときにはT君という子に目を付けられ、からかわれたり、やはり一緒に遊ぶことを強制されたりした。相変わらず運動は苦手だったが、体育以外の成績は良くて、「頭いいやつ」ということで一目置かれつつあったこともあり、T君からはあまりひどい被害は受けずに距離を置くことができた。

    支配欲求を向けてくる人間は、最初の間合いがおかしい人が多い。やけに馴れ馴れしかったり、こちらはまだそこまで打ち解けていないのに、一方的にタメ口で話しかけてきたりする。

    そして、こういう人種は必ず最初に ping を打ってくる。ごく軽い「上から」の言動を投げてみて、反応を見るのだ。ここでちゃんと反発してくる人には、冗談だよ、とか何とかとりなして、これ以降は対等な付き合いをする。ping を打ったときに、衝突を避けて従順さを見せたり下手に出てへりくだるような人が彼らの獲物で、そういう人を見つけるとだんだん要求をエスカレートさせて支配を強めていく。だから、こいつナメてきてるな、俺に ping 打ってるな、と思ったら最初にガツンと鼻っ柱を叩くことが肝心。新たなコミュニティに放り込まれることが多い4月の対応が特に重要になる。

    支配したがる人間から逃れるための武器は2つある。一つは知性だ。即座に言い返せる語彙力・国語力は大事。そして、フィジカルで劣っていても、あるいは貧しくても、頭がよければ集団の中でそれなりにナメられない立場にいることができる。自分に自信を持てるようになるので、他人に対して無駄にへりくだって「自分はマゾです」という誤ったメッセージを送ることを避けられる。本を読め。

    もう一つの武器は、直接的暴力だ。人を精神的に支配したがる人間は、直接的暴力には意外と弱いことが多い。脛や頸部など、死なない程度に相手を痛めつけられる急所を知っておくのは有用だ。意外とよく効くのは、相手の衣服の胸ぐらをつかんで思いっきり引っぱる攻撃。肉体にダメージを与えないにもかかわらず、これをやられると凹むやつは多い。これは高校のときに1回使った。部活動の会合で、俺は地学部の部長だったのだが、俺がいる天文班とは別に地質班というのがあって、珍しくそっちと合同で会議をするというときに、地質班の方に半分不良みたいなちょっと困った奴がいて騒いでいたので、そいつの胸ぐらをつかんで「おい」と言ってグッと引っぱったら、「すいません、すいません」とあっさり大人しくなった。普段から傍若無人な振る舞いで周りに迷惑をかけていた奴だったので意外だった。

  • 新 editor で tumblr から twitter に share されない問題、140字を超えている post でも share される場合がある。謎。第1段落までの字数で決まるのかしら。

    tumblr のサポートはまめに連絡をくれる。サポートの環境では現象を再現できていないとのこと。状況は随時共有している。

  • 複数あるメールアドレスをクライアントソフトで使い分けていて、個人用のアドレスはいまだに Emacs + Mew で読み書きしている。最近、新しいメールを取り込むと Mew が Emacs もろとも落ちることが多くなっていたが、溜め込んでいたゴミメールを削除したら落ちなくなったっぽい。

    来たメールは procmail で3つに振り分けている。ベイジアンフィルタは使わず、ヘッダの特徴やキーワードに基づく判定文を .procmail.rc に書き、ブラック/グレー/ホワイト に分けている。ブラックは /dev/null 直葬、グレーは false positive を考慮してグレー用フォルダに入れる。このグレー用フォルダのメールが8000通くらい溜まっていた。これを消したら落ちなくなった。

  • 本日発売の『星ナビ』4月号にて、「はやぶさ2ミッションレポート」を2p書きました。第1回タッチダウンで採取したA室試料の拾い上げ作業についてなど。よろしければご覧ください。

    月刊 星ナビ 2021年 04月号 [雑誌]

    次から「はやぶさ2ミッションレポート」は再びスリープモードに入り、不定期連載となる模様。今後とも何卒よろしくお願いいたします。