• 雨戸がばたばた音を立てて非常にうるさいので、溝と戸板の間に段ボールの切れ端を突っ込んでみた。静かになって QOL が上がった。

  • 今回は日本国内向け。どうもこの話では、言語の壁があるせいで日本国内と海外で認識の差がありすぎるところが問題だと思えるので、内外で出回っている情報を相互に訳して提示することをしてみよう、という実験をしている。どのくらいの人々が読んでくれているのか分からないが。

    この記事は、Scholze さんと Stix さんが2018年3月に京大を訪れて望月氏と議論し、そのレポートが公表された2018年9月の時点で Quanta Magazine に書かれたもの。筆者の Erica Klarreich さんは数学者でもありサイエンスライターでもある人。

    その後論文は publish されてしまったが、ここで挙がっている「系3.12」問題の進展は3年間で実質的に何もなかったといっていいはず。

    よく、望月論文は「未来から来た論文」で難解すぎるから理解されないという言い方がされるが、何もかもが宇宙語的で理解不能とか、そういう話ではない。ギャップが系3.12という定理の部分にある、と複数の数学者によって独立にピンポイントで指摘されている。つまり、ちゃんと読まれているし、ロジックもフォローされている。神秘性だけを刷り込むような報道は実態を反映していない、と思うわけです。

    (2022/04/11 追記)

    NHKの番組放送をきっかけにしてこのエントリにたどり着く方が増えているので追記。

    この Quanta Magazine の記事は、公開直後に TARO-NISHINO 氏によって下記の通り和訳されている。

    ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する

    5ch 数学板などではこちらの訳の方が先に知られていたようだが、私はうかつにも既に翻訳されていたことに気づいていなかった。

    名前が似ているので私と同一人物だと勘違いした人もいるようだが、もちろん私とは別人の方です。ご本人が書かれている通り、”TARO-NISHINO” は仮名で、たぶんプロの数学者の人。QM誌の記事が出た後の IUT をめぐる展開についてもこまめに追記されている。望月一派の外にいる国内の数学者が IUT に関してほぼ沈黙しているという嫌な状況の中で、プロが実際のところどう考えているのかという一例として、NISHINO 氏の blog は非常に有用。「素人お断り」「英語もわからん馬鹿は読むべからず」という「癖つよ」な文体ですが、他のエントリも読むと勉強になる。

    (追記終わり)

    ABC予想の壮大な証明をめぐって数学界の巨人たちが激突

    2人の数学者が、6年近くにわたって数学界を震撼させてきた証明の核心部分に穴があることを発見したと述べている。

    Erica Klarreich, 寄稿

    2018年9月20日

    ボン大学のPeter Scholzeとゲーテ大学フランクフルトのJakob Stixは、本日オンラインで掲載されたレポートの中で、京都大学の才能ある数学者として知られる望月新一論文にある、Stixが「深刻で修正不可能なギャップ」と呼ぶ問題について書いている。望月の論文は2012年にネット上に公開され、数論の最も遠大な問題の一つであるABC予想を証明したとされている。

    望月の証明を解説する会議が何度も開かれたにもかかわらず、数論学者たちはその根底にある考え方を理解するのに苦労した。望月の一連の論文は500ページ以上にわたって難解な文体で書かれており、さらに彼の過去の研究を500ページほど参照していることから、スタンフォード大学のBrian Conradによれば「ある種、無限に後退する感覚」と呼びたくなるようなものを引き起こすという。

    ノッティンガム大学のIvan Fesenkoは、この証明を深く研究した12〜18人の数学者がこの証明が正しいと信じている、とメールで書いている。しかし、この証明の正しさを保証しているのは「望月の傘下」にいる数学者だけだ、とConradは昨年(訳注:2017年)12月に、自らのブログでの議論でコメントしている。「証明が完全であることに自信を持っている、と(たとえオフレコであっても)喜んで発言する人は、彼のグループの外には一人もいない」。

    ただし、シカゴ大学のFrank Calegariは2017年12月のブログで以下のように書いていた。「数学者たちは、望月の議論に問題があると主張することには非常に躊躇している。決定的な間違いを指摘できないからだ」

    だがそれも今や変わった。ScholzeとStixはレポートの中で、望月の4つの論文のうちの3つ目の論文に記載されている「系3.12」の証明の最後に近い部分の論理に、根本的な欠陥があることを指摘している。この系は、望月氏が提案したABC予想の証明の中心となるものだ。

    Scholzeは、「私はABC予想はまだ未解決だと思う。証明するチャンスは誰にでもある」と述べている。

    ScholzeとStixの結論は、彼ら自身が論文を研究しただけでなく、2018年3月に望月と同僚の星裕一郎を京都大学に1週間訪問し、証明について議論したことにも基づいている。Scholzeは、この訪問が自分とStixの反論を本質的に引き出すのに非常に役立ったと言う。二人は「証明は存在しないという結論に達した」とレポートに記している。

    しかし、この会合では、妙に満足のいかない結論が出た。望月は、ScholzeとStixに自分の主張が正しいことを納得させることはできなかったが、二人もまた望月に、彼の主張が正しくないことを納得させることはできなかったのである。望月は、ScholzeとStixのレポートを、自分の数本の反論レポートとともに自分のウェブサイトに掲載した。(望月と星に今回の記事のためのコメントを求めたが、回答はなかった)。

    望月は反論の中で、ScholzeとStixの批判は望月の仕事についての「ある根本的な誤解」が原因だとしている。彼らが「否定的な立場」をとっているからといって、それが「理論に何か欠陥があることを意味するものでは全くない」と望月は書いている。

    望月はもともと数学界で高い評価を得ている人物であるために、数学者たちは彼の研究をABC予想についての真剣な試みだとみなしたが、同様にScholzeとStixの名声も、数学者たちが彼らの言うことに注意を払うであろうことを保証するものだ。Scholzeは30歳という若さでこの分野のトップに躍り出た。2018年8月には数学界の最高栄誉であるフィールズ賞を受賞したのだ。一方Stixは、望月が研究している遠アーベル幾何学という分野の専門家である。

    「Peter (Scholze) とJakob (Stix) は非常に慎重で思慮深い数学者です」とConradは言う。「彼らが抱いている懸念は、…間違いなく解消されるべきものです」

    行き詰まりの箇所

    Conradが「数論の傑出した未解決予想の一つ」と呼ぶABC予想は、a + b = c という、想像しうる最も単純な方程式の一つから始まる。3つの数 a, b, c は正の整数で、共通の素因数を持たない(互いに素である)とする——例えば、8 + 9 = 17、5 + 16 = 21という方程式が考えられるが、6 + 9 = 15は考えない。6, 9, 15 はすべて3で割り切れるからだ。

    このような方程式が与えられた場合に、3つの数字のいずれかを割る素数をすべて探す——例えば、5 + 16 = 21という方程式の場合、素数は 5, 2, 3, 7 となる。これらを掛け合わせると210となり、元の式のどの数よりもはるかに大きな数になる。一方、5 + 27 = 32 という式の場合には素数は 5, 3, 2 でそれらの積は30となり、元の式の32よりも小さい数になる。このように積が小さくなるのは、27と32には小さな素因数(それぞれ3と2)しかなく、それが何度も繰り返し掛け合わされてできたものだからだ。

    他のabcの3つ組を試してみると、この2つ目のシナリオは非常に稀であることがわかる。例えば、aとbが1から100までの3つの組み合わせは3044通りあるが、素数の積がcよりも小さい組み合わせは7通りしかない。

    具体的には、5 + 27 = 32 の例で言えば、32は30よりも大きいが、ほんの少しだけだ。30^2や30^1.5、あるいは30^1.02(=約32.11)よりも小さい。ABC予想とは、1より大きな指数を選んだ場合、その指数で素因数の積を累乗したものよりもcが大きくなるようなabcの3つ組は有限個しか存在しない、というものだ。

    オックスフォード大学のMinhyong Kimは、「ABC予想は掛け算と足し算についての非常に基本的な記述です」と言う。Kim曰く、「これまでに見たことのない数のシステム一般についての非常に基本的な構造を明らかにしているように感じる」というような予想なのだ。

    また、a + b = c という単純な方程式にかかわる予想だということは、他のさまざまな問題がこの予想の支配下にあるということでもある。例えば、フェルマーの最終定理は、x^n + y^n = z^nという形の方程式についてのものであり、「8と9が唯一の連続した2つの累乗数である(8 = 2^3 で 9 = 3^2 であるため)」というカタラン予想は、x^m + 1 = y^nという方程式についてのものだ。(ある種の形の)ABC予想は、これら2つの定理の新しい証明を提供し、関連する多くの未解決問題を解決することになる。

    コロンビア大学のDorian Goldfeldは、この予想は「常に既知のものと未知のものの境界線上にあるようだ」と書いている

    ABC予想を証明した場合に得られる成果は非常に豊かなものなので、この予想を証明することは非常に難しいだろうと数論学者は考えていた。そのため、2012年に望月が証明を発表したという情報が流れると、多くの数論学者は望月の研究に熱中した——だが、慣れない言葉遣いと変わった表現方法に戸惑っただけに終わった。定義が何ページにもわたって書かれ、定理も同様に長く書かれているが、証明は基本的に「これは定義からただちに導かれる」としか書かれていなかった。

    「望月の論文を専門家(名前はオフレコ)が分析した話を聞くたびに、その報告は毎回驚くほど同じだ。自明なことが書かれた広大な原野に、不当な結論という巨大な崖が続いているのだ」と、Calegariは2017年12月のブログ投稿で書いている

    Scholzeはこの論文の初期の読者の一人である。Scholzeは数学を素早く深く吸収する能力で知られており、多くの数論学者よりも先に、4つの主要論文が発表された直後にこの4編の(彼が言うところの)「ざっと読み」を終えていた。Scholzeは長い定理と短い証明を見て、間違ってはいないが実体のないものだと感じ、困惑したという。中間の2つの論文では「ほとんど何も起こっていないようだ」と彼は後に書いている

    そして、Scholzeは3番目の論文で系3.12にたどり着いた。数学者は通常、より重要な過去の定理の二次的な結果として得られる定理を「系 (corollary)」という用語で表す。しかし、望月の系3.12の場合には、これがABC予想の証明の核心であることが数学者の間で同意されている。この部分なしでは「証明はまったく存在しない」とCalegariは書いている。「ここが核心のステップだ」。

    この系は、中間の2つの論文の中で証明が数行以上——9ページにも及ぶ唯一の定理だ。Scholzeはこの論文を読み進めるうちに、論理を全く追えなくなるポイントに突き当たった。

    当時24歳だったScholzeは、この証明には欠陥があると考えた。しかし彼は、直接意見を求められたとき以外は、この論文についての議論にはほとんど参加しなかった。自分が見落としていた重要なアイデアを他の数学者が論文の中に見つけてくれるかもしれない。あるいは、他の数学者も自分と同じ結論に達するかもしれない。いずれにしても、数学のコミュニティが必ずけりを付けるはずだと考えていた。

    エッシャーの階段

    一方、他の数学者たちはこの密度の高い論文と格闘していた。2015年末にオックスフォード大学で開催される、望月の研究をテーマとした会合に期待を寄せていた人も多かった。しかし、望月の側近数人が証明の重要なアイデアを説明しようとすると、聞き手の上に「霧の雲」が降りてきたようだったと、Conradは会合の直後にレポートに書いている。「この研究を理解している人は、数論幾何学者にこの研究の特徴をもっとうまく伝える必要がある」と書いている。

    Conradの投稿から数日後、彼のもとに3人の数学者(うち1人はScholze)から同じ内容のメールが届いた。彼らは論文を読んで理解することができたが、ある部分でつまづいてしまったのだという。「彼らの誰もが、証明の中でお手上げになったのは系3.12だと言っている」とConradは後に書いている

    Kimは、別の数学者である越川皓永(現・京都大学)からも、系3.12に関する同様の懸念を聞いていた。また、Stixも同じ場所で当惑していた。徐々に、さまざまな数論学者がこの系が障害箇所だと気づくようになったが、議論に穴があるのか、望月が単に自分の論拠をもっとうまく説明する必要があるのかははっきりしなかった。

    そして2017年末、望月の論文が受理されたという噂が広まり、多くの数論学者が驚愕した。望月自身が、問題の雑誌である『Publication of the Research Institute for Mathematical Sciences (PRIMS)』の編集長を務めていたのだが、これをCalegariは「評判をガタ落ちさせるもの」だと言った(ただし編集者は通常、このような状況では論文の編集過程から自ら外れるのが普通だ)(訳注:望月氏も今回の論文では編集過程から外れている)。しかし、多くの数論学者にとってそれ以上に気になるのは、論文がいまだに解読不可能だという事実だった。

    シカゴ大学のMatthew Emertonは、「論文の議論を理解していると主張する専門家は誰一人として、けむに巻かれたままの(非常に多くの)専門家にそれを説明できていない」と書いている

    Calegariは、この状況を「大失敗」と断じるブログ記事を書き、著名な数論学者たちからは賛同の声が寄せられた。「今や、ABCは京都では定理だが、他の場所では予想であるという馬鹿げた状況になっている」と彼は書いている。

    PRIMSは、報道機関からの問い合わせに対してすぐに、「実際には論文は受理されていない」と回答した。しかしScholzeは、論文が受理されてしまう前に、以前から数論学者に個人的に伝えていたことを公にする決心をした。この証明をめぐる議論は「あまりにも社会学的になりすぎている」と判断したのだ。「誰もが、これは証明ではないような気がする、ということくらいは話していたが、『現実に誰も証明を理解できていない箇所がここにあるぞ』と実際に発言した人はいなかった」。

    そこでScholzeは、Calegariのブログ記事のコメント欄に、「系3.12の証明における図3.8以降の論理に全くついていけない」と書いた。また、「証明を理解していると主張する数学者は、この点をもっと説明しなければならないということを認めようとしない」とも付け加えた。

    望月の京都大学の同僚でフィールズ賞受賞者の森重文は、Scholzeに望月との面会を提案した。ScholzeはStixに連絡を取り、2018年3月に京都に行って、望月と星と一緒にやっかいな証明について話し合ったという。

    ABC予想に対する望月のアプローチは、この問題を、xとyの2変数を持つ3次方程式の特殊なタイプである「楕円曲線」に関する問題に変換するというものだ。望月の研究以前からよく知られていたこの変換は、各abc方程式を、グラフがx軸をa、bと原点で横切る楕円曲線に関連付けるという単純なものだが、こうすることで、数論と幾何学、微積分などを結びつける楕円曲線の豊かな構造を利用できるようになる(これと同じ変換は、Andrew Wilesによる1994年のフェルマーの最終定理の証明でも中心となっている)。

    ABC予想は、楕円曲線に関連する2つの量の間の不等式を証明することに帰着する。望月の研究はこの不等式をさらに別の形に変換したもので、Stixによると、2つの集合の体積を比較するようなものだという。望月がこの新しい不等式の証明をしているのが系3.12で、これが正しければABC予想が証明されることになる。

    この証明は、ScholzeとStixが説明しているように、2つの集合の体積を2つの異なる実数のコピーの中に住んでいると見なし、その実数のコピーを6つの異なる実数のコピーからなる円の一部として表現する。そこでは、それぞれのコピーが円に沿って隣のコピーとどのように関係しているかを説明する写像が用いられている。集合の体積が互いにどのように関係しているかを把握するためには、あるコピーの体積の測定値が他のコピーの測定値とどのように関係しているかを理解する必要がある、とStixは言う。

    「2つのものを比較する不等式があったとしても、コントロールできない要因で物差しが縮んでしまったら、その不等式が実際に何を意味しているのかをコントロールできなくなってしまう」とStixは述べている。

    ScholzeとStixは、この重要なポイントで論文の議論に問題が発生すると考えている。望月の写像では、物差しは局所的には互いに互換性がある。しかしStixによれば、円を一周すると、逆回りに一周した場合とは異なる形の物差しになってしまうという。この状況はエッシャーの有名な螺旋階段に似ているという。どんどん登っていくと、最後には最初の場所よりも低い所に着いてしまうのだ。

    ScholzeとStixは、このように体積測定の互換性がないため、結果的に不等式は間違った量を比較するものになってしまっていると主張している。さらに、体積測定値が大局的に互換性を持つように調整すると、不等式は意味をなさなくなるという。

    望月の論文を詳しく研究しているカリフォルニア大学サンディエゴ校の数学者、Kiran Kedlayaは、ScholzeとStixは「望月の議論が成立しないかもしれない考え方を明らかにした」と述べている。「この議論を正しいものにするためには、ScholzeとStixが説明したこととは何か別の、もっとずっと繊細なやり方をしなければならない」。

    望月は、その「何かもっと繊細なこと」こそ、この証明がまさに行っていることだと主張する。ScholzeとStixは本来別個のものとみなされるべき数学的対象を恣意的に同一視してしまうという誤りを犯している、と彼は書いている。ScholzeとStixの反論の内容を同僚に伝えたところ、「このような明らかに間違いである誤解が生じることはあり得ないという、全くの驚きと懐疑が(時には笑いの発作を伴って!)、驚くほど一致して返ってきた」と望月は書く。

    数学者はこれから、ScholzeとStixの主張と望月の回答を吸収していかなければならない。しかし、Scholzeは、望月の最初の一連の論文をめぐる状況とは対照的に、彼とStixの反論の要点は高度に技術的なものではないので、これが長引くことはないだろうと期待している。数論学者であれば「今週、我々が望月と交わした議論に完全に付いていくことができたはずです」と彼は言う。

    望月の見方はまったく違う。彼の見解では、ScholzeとStixの批判は、「議論の対象となっている数学を深く考えるための十分な時間がなかった」ことに加えて、「馴染みのある数学的対象について新しい考え方をすることに対する深い違和感、あるいは不慣れさ」に起因するのだという。

    望月のABC予想の証明にすでに懐疑的な数学者は、ScholzeとStixのレポートで話が終わったと考えるかもしれない、とKimは言う。また、望月による新たなレポートを自分の目で確かめたいと思う人もいるだろうし、Kim自身もその活動を始めている。「自分の目でもっと注意深く確認してから判断する必要が全くないとは思っていません」と彼はメールで書いている。

    この2、3年の間に、多くの数論学者は望月の論文を理解することをあきらめた。しかし、ScholzeとStixの描像が単純すぎる(と仮定した場合、その)理由について、望月やその支持者たちが徹底的で首尾一貫した説明をすることができれば、「これは、疲労感をいくらか癒すのに大いに役立つだろうし、人々がこの問題をもう一度調べてみようという気になるかもしれない」とKedlayaは語っている。

    一方、Scholzeは、「望月が非常に大幅な修正を行い、この重要なステップをよりよく説明するまでは、これを証明とみなすべきではないと思う」と述べている。彼は個人的には、「ABC予想の証明に近づくような重要なアイデアは(望月の論文の中には)あまり見当たらなかった」と言っている。

    この議論が最終的にどのような結果になるかは別として、望月の議論のこうした特定の部分をピンポイントで指摘することで、論旨がより明確になるはずだとKimは言う。「Jakob (Stix) とPeter (Scholze) が行ったことは、数学コミュニティに対する重要な貢献だ。今後どうなるにせよ、そのレポートは確かな進歩となるものだと確信している」。

    (了)

    そういえば、この記事の翻訳を blog に載せていいかどうかを Quanta Magazine に問い合わせたのだが、いつまで待っても返事がなく、そのうちになぜか、Quanta Magazine のメルマガが届くようになった。いやいや、そういうことじゃねぇんですけど。個人 blog なら別に気にしなくていいよってことなのか、意味を図りかねている。ということで、載せてしまった。怒られたら消す。

  • ようやく、という感じ。

    政府 福島第一原発のトリチウムなど含む水 海洋放出方針固める | NHKニュース

    処理水の海洋放出に反対する論点にもいろいろあるが、「生理的に無理」というような感覚の問題を除けば、

    1. トリチウムがヤバい
    2. トリチウム以外の残留核種がヤバい

    のどちらかだろう。

    1. については、海に捨てたトリチウム水 (HTO) が人体に危険な濃度になるまで濃縮される過程が地球には事実上存在しないので、ヤバくない。H2O も HTO も化学的にはただの水だから。生体内であれ、無機的な過程であれ、そういう濃縮過程がもし存在するのなら、その過程を利用して HTO だけを集めて除去できる。ヒラメの体内でトリチウム水が濃縮する(そんなことありえないと思うが)というのなら、処理水で大量のヒラメを飼えばトリチウムを効率的に除けることになる。そういううまい濃縮過程が存在しないから、ALPS で除去できなくて困っている。

    HTO は H2O と化学的振る舞いが同じなので化学反応で HTO だけ集めることはできない。ただ、HTO 分子は H2O より 20/18 倍重いので、例えば蒸発するときに、HTO の方が H2O より少しだけ蒸発しづらい(重い分、飛び出すのに余計に運動エネルギーが要る)。化学的振る舞いではなく、こういう「物理的振る舞い」の違いを利用すれば理屈の上では集められる。発想としてはウラン濃縮の各手法と全く同じ。だが、きわめてわずかな違いなので現実には無理。

    実際、トリチウムは核兵器(水爆)や核融合炉に必要な物質なので社会としての需要はあるのだが、物理的性質を使って海水中の HTO を選り分ける、といった手法はトリチウムの工業生産では使われていない。原子炉の制御棒にリチウム6を含むセラミックを使い、6Li + n → 4He + T という反応で Li から T を作るという手法がもっぱら使われている。

    2. の残留核種については、現時点でタンクに保管されている処理水のうち、放射性核種の濃度が「そのまま海に流してもOK」とされる環境基準より低いものは約3割。7割は環境基準よりまだ高い。もし海洋放出する場合、この7割については、海水で薄めればいいんじゃないのと個人的には思うわけだが、東電としてはそうではなく、ちゃんともう一度 ALPS に通すなどの二次処理をして基準値以下にしてから放出する、と決めている。

    ここでいう「環境基準」とは、「告知濃度限度」と呼ばれているもので、水への放出の場合は、

    その水を70年間毎日2L飲んだ場合の平均線量率が (自然放射線 + 1 mSv)/年 になる濃度

    大気への放出の場合は、

    その大気を70年間呼吸し続けた場合の平均線量率が(自然放射線 + 1 mSv)/年 になる濃度

    とされている。これが具体的に何 Bq/L なのかは核種によって違うので、核種ごとに告知濃度限度が決まっている。福島第一の処理水のようにいろんな核種が混ざっている水の場合は、告知濃度限度に対する比率(告知濃度比)を核種ごとに求めて、その「和をとった」結果が 1 未満なら海に流せるということになっている。異なる比率の和をとるって何だそれ、気持ち悪っ! という感じだが、こういう操作にしておけば少なくとも基準値として危険側に倒れる心配はないのでいいってことなのだろう。(和をとる代わりに平均をとったりしちゃったら危険で意味がなくなる)

    という感じで、海に捨てていいかどうかの線引きはありえないほどマージンを見込んだものになっている。ここまで厳しい基準値で告知濃度比が 1 以下になった水だけを捨てますというんなら、さすがにいいんじゃないの、と個人的には思う。もちろん、海産物の放射能も引き続きモニタリングするわけだし。

    放射性元素はどこにでもある。人体にも K-40 が約 4000 Bq 含まれているし、水道水や血液・リンパ液の水分子のうち10の18乗個に1個は HTO である(宇宙線によって大気中でトリチウムが日常的に作られ、環境に取り込まれている)。自然界の放射線も人工的な原因による放射線も、DNA を壊して癌細胞を生むといった作用に全く違いはない。安全か危険かは「量」「割合」だけでシンプルに決まる。

    tumblr の新 post editor は上付き・下付き添字を書けないので、こういう話を書くときに不便だということに気付いた。

  • 待っていて、ふと空を見たら明るい光点がゆっくりと移動していた。ISS だったようだ。今日の通過は関東のほぼ真上だったので明るくなったらしい。金星くらいに見えたのでまさか ISS ではないだろうと思っていた。予報光度も-4等に迫る値。

  • セルフレジを体験した。特に問題なし。ファミマは体験済み。7-11はまだ。決済には PASMO を使用している。

    そのローソンにはレジが2つあって、片方が有人、もう片方が時間帯によってセルフにもなる方式だった。うちの近所のファミマのようにセルフ専用端末があるわけではない。俺の前に3人くらい並んでいたが、セルフレジが空いているのに誰も使おうとしなかったので先に使わせてもらった。並んででも有人レジを選ぶ人がまだまだいる。