うとうとし始めた頃に猛烈に顔が痒くなる。そのせいでなかなか寝付けない。それなりに睡眠が深まってきた後で痒みが襲ってくると、痛覚が麻痺しているので思いっきりかきむしってしまい、朝起きると顔が傷だらけで爪には血の混じった垢が詰まっているということになる。
風呂で顔を洗うのがよくないのか、または顔を洗わないのがよくないのか、と思って両方試したが、どちらの場合も痒くなったので洗顔の有無は関係ないっぽい。何か未知のアレルゲンが潜んでいるのか。
うとうとし始めた頃に猛烈に顔が痒くなる。そのせいでなかなか寝付けない。それなりに睡眠が深まってきた後で痒みが襲ってくると、痛覚が麻痺しているので思いっきりかきむしってしまい、朝起きると顔が傷だらけで爪には血の混じった垢が詰まっているということになる。
風呂で顔を洗うのがよくないのか、または顔を洗わないのがよくないのか、と思って両方試したが、どちらの場合も痒くなったので洗顔の有無は関係ないっぽい。何か未知のアレルゲンが潜んでいるのか。
(2022/05/23 追記:5/22 の「声」欄に、大学教員の方からのアンサーが載っていた。)
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こどもの日ということで、朝日「声」欄が子供の意見特集になっていた。でまあ、こういう投書が14歳の子から来たという、いつもの釣り針メソッドなわけですが。俺は過去に一度釣られてみたのでもう投書はしないが、未成年者に限らずこういう考え方はよく目にするので、自分の考えを再度まとめてみる。
自由主義の下では、金持ちが自分の金を何に使うかはその金持ちが決めることで、他人が口を出すべきものでもない(利己的な使い方しかしない金持ちは尊敬されないというのはまああるが)。税の使い道を国民が議論するといった話とは本質的に意味合いが異なる。
「宇宙を目指すのか、地球上の貧しい人々を救うのか」というのは問題設定としてあまりにも解像度が粗い。十分豊かになって両方同時に目指せばいいという言い方もできる。二択を迫られていると思ったら、本当にその二つしか選択肢がないのかという点をまず考える必要がある。
「人の役に立つこと」とは何か、「人の役に立たない道楽」とは何かを、万人が納得するように、現在の知識のみから決めるのは非常に難しい。
世界中の何千万人もの人々が、ファイザーやモデルナの開発した史上初の mRNA ワクチンの恩恵を受けて COVID-19 による死を免れているが、mRNA ワクチンの基礎技術も「そんなもの研究して何の役に立つのか」と言われていた技術の一つである。科学史においてこの手の話は枚挙に暇がない。
イチローや大谷翔平の業績は「人の役に立つ」ことだろうか? 「人々に感動を与えた価値ある偉業だ」という言い方もできるし、「あいつらはボールを投げ、棒でひっぱたいているだけだ。そんなくだらないことのために莫大な年俸を支払うくらいなら、それを貧しい人々の食事や医薬品のために使えばもっと有意義だったはずだ」という言い方もできる。
「そんなことよりもっと大事なことがある」論者がよく言う「もっと大事なこと」というのは、たいていは突きつめれば「健康でいること」「貧しさから抜け出すこと」「長生きすること」「死なないこと」あたりに行き着く。つまりは「生存」である。
生存は確かに大事で、生存権は基本的人権の一つでもある。生存権すら脅かされている人々が世界にはたくさんいて、その人たちに手を差し伸べなければならないという話はある程度正しい。
だが、「もっと大事なことがある」論ばかりを言いすぎると、えてして「生存だけが人間にとって最重要で、それ以外のことはすべて生存より優先度が低い」という極論へと逆転しがちだ。
生存だけを最優先するという価値観は、言ってみればゾウリムシの行動原理と同じだ。餌のある方向へ移動し、餌を食べ、生き延びる。人間が人間であることをやめて、他の動物と同じく生存と生殖だけやっていればよろしいということになってしまう。
さらに、この「もっと大事なことがある」論や「人の役に立つことをやれ」論を追求した先には、「役に立つ人間」と「役に立たない人間」を選別し、後者は前者より価値が劣ると考える思想が出てくる(これを「優生思想」という)。こうした思想に基づいて身体障害者を集めて大量に殺したのが、かつてのナチスであり、やまゆり園事件の犯人である。人間の行為に「意義」や「価値」のランクづけをするというのは、その根本に必ず暴力性を孕んでいるものなのだ。
ゾウリムシは宇宙を目指したり、音楽を奏でたり、100m走のタイムを競ったり、素粒子がひもからできているかどうかを考えたりはしない。人間だけが、その発達した大脳を使って文明を生み出し、「食って今日を生き延びる」以上のことに時間を使えるようになり、その時間を使って生み出した膨大な数の「役に立たない道楽」の中からさらに高度な文明の材料が生まれる、という循環を繰り返して進歩してきた。
「宇宙に行っていったい何の役に立つのか」という問いは、退化を求める危険な欲求を内包している。「みんな平等に貧しくなろう」というあれだ。そうではなくて、「宇宙に行くために人間は人間になったのだ」「音楽を奏でるために人間は人間になったのだ」「ABC予想を証明するために人間は人間になったのだ」「消しゴムのカスを集めてボールを作るために人間は人間になったのだ」と考える方が真っ当なはずなのだ。地上の問題を解決し、同時に宇宙も目指す、両取りを狙える程度には人間は豊かになったし、賢くもなっているはずだ。
特に遠出などはしないが、散髪はした。
妹一家が来訪。うちには甥っ子たちが楽しめるようなものはあまりないが、戸棚の奥から10年ぶりくらいに Wii を出してきて遊ぶ。Switch を買って、ちょっと前に新垣結衣さんがやっていたあれで運動しようかな…。
が望月氏の blog に投稿されている。
2022年4月のNHKスペシャルに対する「合格発表」: 前半はぎりぎり合格、後半は不合格 – 新一の「心の一票」:楽天ブログ
まとめれば、
といったところ。
望月氏本人がはなから NHK の取材を拒否している状況で、でき上がったものに対して後から「あれが違うこれが違う」と言われるのは、作り手側からすると「勘弁してくれ」「だったら取材対応してよ」とは思うだろうな、と少し NHK に同情する。
テクニカルな部分の正確性は、監修者を置くことで担保するのが普通。この番組はエンドクレジットを見る限り、「監修」は置いておらず、「取材協力」として加藤文元・玉川安騎男・星裕一郎・小山信也およびソルボンヌ大・マックスプランク数学研がクレジットされている。
題材がここまで高度に専門的な場合は、やはり監修者を置いて、制作の早い段階から継続的にチェックしてもらうべきだろうとは思う。監修を頼んでも引き受け手がいなかったとか、数学コミュニティの中で IUT の評価が定まっていない状況で、中立的な監修者を置くことが不可能だったとか、いろいろ事情はあるのかもしれない。
にて、「灼熱の物理学」という読み物記事を書きました。世の中の「熱い現象」についていろいろ解説。よろしければご覧ください。
Newton (ニュートン) 2022年 06月号 [雑誌]
俺もこれを書くまでずっと勘違いしていたが、ガスの炎が青いのは熱放射のピークが青色になるような温度だから、ではない。OB型星のスペクトルを考えれば分かるが、熱放射で青色が卓越するためには2万度を超えなければならない。ガスの炎は1800℃程度なので全然低い。
ガス火の青は燃焼ガスの炭化水素が分解されて C-C や C-H のようなラジカルができ、これらが出す輝線である。特にC2のスペクトルは Swan さんという人がガスバーナーの火を分光して発見したので Swan バンドと呼ばれる。彗星が青緑色に見えるのもこれらのラジカルの輝線が原因。彗星の色がガス火の青色と同じ仕組みで発光しているというのは、科学コミュニケーション的には興味を引くネタになりそう。