付き添い。検査担当の医師が緊急対応でいないとかで、1時間以上待たされた。やはり人手不足の感じがある。
面会も原則禁止とのこと。
今年の正月、父が遺した昔のビデオテープを DVD 化してみると、俺達が小学生だった頃の運動会などの映像の後ろに、重ね録りする前のテレビ番組や CM の断片が残っていた。今となってはこういう CM なども貴重な資料になる。いつか誰かの役に立つかもしれない、と切り出して YouTube に上げておいた。
特に宣伝もしていないので再生数も伸びなかったが、数日前から上の動画だけさかんに再生されるようになり、俺が上げた動画の中で再生数トップになった。
上げたときには誰が映っているのか分からず、概要欄に「知っていたら教えてください」と書いておいたら、しばらく経ってから「元宝塚女優の北原瑶子さん」と教えてもらったので、動画タイトルに書き足しておいたもの。
北原瑶子さんは1985年の日航123便墜落事故で犠牲になったお一人だったので、8月12日を迎える前に検索する人が増え、再生数が伸びたということらしい。この CM が残っていたビデオテープには1984年秋の運動会が録画されていたので、CM 自体も事故前年の’84年に放送されていたものと思われる。
夏休みの定番の苦行で、毎年ぎりぎりまで着手せず、8月最終週に入ってから母親に怒られつつ嫌々書いていた。本当に嫌いだったのだが、なぜか頻繁に表彰され、担任の先生が俺の感想文を市の文芸賞にも応募してそっちでも賞をもらったりした。
確か小学校では400字詰め×3枚だったと思うが、これを埋めるのが最初は辛かった。読みたくもない本の感想なんて、修辞も知らない小学生の脳味噌では、どう引き伸ばしても200字で終わってしまう。
だが、読書感想文コンクールの入賞作をどういうわけか何かの雑誌か文集で読む機会があって、そういう「上手いとされる感想文」をいくつか読んだ結果、読書感想文というものはバカ正直に本の感想だけを書くのではなく、本とは関係のない自分の体験を書いて原稿用紙のマス目を埋めればいいのだ、と気づいた。
重要なことは、100%本心でなくてもいいという点だ。マス目が埋まればいい。純粋な自分の本心を文章の形にまとめる訓練も人間には必要だが、それは夏休みにやらなくてもいい。夏休みはプールで泳いだりカブトムシを捕ったり星を見たりして過ごすのが正しい。
俺はこれで何度も賞状をもらった。上のようなパターン、つまり「文章の設計図」に従って書くことを覚えてから、1200字という字数があまり苦にならなくなった。
好きでもない本を読まされて、上のパターンに従って、全部が本心でもない文章を書いて、字数が埋まったからまあいいや、と提出したものがなぜか先生に受けて表彰されたりして、「なんか世の中、くだらねぇな」と子供心にも思っていたが、世に出回る文章には必ず論理構成や型があり、読書感想文はその型を身に付けさせる教育なのだと思えばよい。
絵の世界にも、いわゆる自己表現や芸術としての絵画と、物体の寸法や形状を説明するための図面やイラストレーションがあるように、文章にも文芸とテクニカルライティングがある。読書感想文は一見文芸のようだが、実はテクニカルライティングの訓練なのだと自分は思っている。
だから、「嘘は書きたくないけど、自分が思ったことだけじゃ1200字なんて全然埋まらないよー」とか、あまり深刻に悩まなくて大丈夫。この世に存在する文章の大半は、誰かを喜ばせるために書かれた、心にもない言葉でできている。そういう文章を書いてお金をいただくことが穢れた行為ということでもない。たいていの大人はそうやって生きています。