• 気象庁には、「巨大地震」「大規模地震」「大きな地震」のような形容詞句の付いた表現ではなく、マグニチュードの範囲で言って欲しい。形容詞句に頼ると正しいイメージを共有できなくなるおそれがある。

    評価検討会の後の記者会見をニュースで見た限りではいまいち分からない点もあったが、発表資料を見て、そういう意味か、とおおよそ理解した。

    南海トラフ地震の想定震源域では、新たな⼤規模地震の発⽣可能性が平常時と⽐べて相対的に⾼まっていると考えられます

    南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)について

    ここで言っている「大規模地震」は「巨大地震」と同義で、「M8級以上」という意味で使っているようだ。それは上記PDF資料の5ページ目を見ると分かる。

    Mw7.0以上の地震発生後、7日以内にMw8クラス以上(Mw7.8以上)の大規模地震が発生するのは、数百回に1回程度です。
    異常な現象が観測される前の状況 (注)に比べて数倍高くなっています。

    (注)30年以内に70~80%の発生可能性があるとされる状況です。南海トラフ沿いの地域において「30年以内に70~80%」の可能性でM8~9クラスの地震が発生するという確率は、7日以内に換算すると概ね千回に1回程度となります。これと、世界における続けて発生した地震の頻度を比較しています。

    南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)について

    昨日までは、南海トラフ沿い地域でM8以上の地震が7日以内に起こる確率は 1/1000 程度だったが、昨日の地震以降はこれが 1/数百 にまで高まったよ、ということ。今回の発表の本質はこれに尽きる。初めからこう言ってくれればいいのだが。

    (なお、Mというのは「気象庁マグニチュード」、Mwというのは「モーメントマグニチュード」という値で、それぞれ定義は違うが、こういうざっくりした話のときにはまあどちらでも大差ない。どちらも、1 大きくなると地震のエネルギーが 101.5 = 31.6倍、2 大きくなるとエネルギーが 103 = 1000倍になるというのは同じ。)

    M7級が起きた数日後にM8以上の地震が起きた典型例が、まさに2011年の東北地方太平洋沖地震である。3.11の2日前の3月9日にM7.3の地震が宮城沖で起こっていて、結果的にはこれが巨大地震の前震(破壊の始まり)だった。

    M7.3が起きてから3.11の本震までの間に、M6級の地震も周辺地域で5-6回起こった(下図の左下のグラフ)。普通の感覚だと、このM6級の地震は「ああ、3/9のM7.3の余震ですね」という受け止め方にしかならないので、まさかこの後にM9.0が来るとは誰も思っていなかった。

    こういうことがあったので、南海トラフでM7級が起きたら巨大地震の前震でないかどうかを可能な範囲でちゃんと評価しようということになり、2019年からそういう体制になった。今回、2019年以降で初めて、南海トラフの想定震源域内でM7超えの地震が起こったので評価検討会が開かれた次第。

    南海トラフ地震の想定震源域のうち、日向灘と呼ばれるエリアでM7級が発生したのは、1961年以来63年ぶり。確かにちょっと「おっ」という感じではある。

    すでに高知県では海沿いなどで避難所を使う人も出ているようだ。避難所の選択や避難ルートを考えるとか、車にガソリンを入れておくとか、湯船に水をキープしておくとか、現金を下ろしておくとか、モバイルバッテリーの充電とか、食糧の備蓄とか、公衆電話の場所確認とか、どうせふだんやっていないので、改めてやっておく良い機会かも。

  • にて、現在上映中の映画「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」の紹介記事を書きました。よろしければ(映画ともども)ご覧ください。

    星ナビ 2024年9月号 – アストロアーツ

    「アポロは月に行っていない」という陰謀論は昔からの定番だが、「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」はそれにヒントを得た作品。といってもラブコメ要素もあり、打ち上げシーンなどは実際のNASAの記録映像をふんだんに使っていて、宇宙開発ファンにも楽しめる。ファッション・音楽・車など、1960年代のアメリカン・ヴィンテージが好きな人にもおすすめ。

  • 日本語では「オリンピック」だが、英語で名詞として使うときは必ず s が付いて Olympics になることを今さらながら知った。Paris 2024 Olympics みたいに。語形の挙動としては physics や economics と似ている。

    (ちゃんと書くと The Olympic Games Paris 2024 という感じだが、この場合の Olympic は Games を修飾する形容詞になっている。)

    -ics を語源辞典で調べると、学問分野の名前などで「○○に関する(属する)こと全体」を表すときに、ギリシャ語で形容詞の語尾 -ikos の中性複数形を使うという慣習があり、この慣習が16世紀にリバイバルして「なんとか-ics」という形の名詞が生まれたとのこと。16世紀以前にすでに英語の名詞ができていたものについては -ics 型ではなく -ic 型が多いとのこと(arithmetic, music など)。

    Olympics も、いろんな競技を含んだ総体という意味で -ics という語尾になっているようである。

    今大会、自分はあまり熱心に見ていないが、誤審だとかいかさまルーレットだとか、いろいろ突っ込まれている。完全に根拠のない個人的感想だが、要するに「オリンピックはガチではない」「競技というよりは興行である」ということなのだろうと思っている。

    そのことを最初に感じたのは、1988年ソウル大会や1992年バルセロナ大会のあたりだったと思う。ソウルでの韓国の金メダル獲得数は、ソ・東独・米に次ぐ第4位、バルセロナでのスペインの獲得数は、旧ソ・米・独・中・キューバに次ぐ第6位だった。開催国には自国の慣れた競技場を使える優位性があり、また国家を挙げて選手強化を行うので、ある程度強くはなる。とはいえ、韓国やスペイン程度の国力の国がいきなりランキングの上位に入り、次の大会になるとあっさりランキングから消えるというのはやっぱりガチンコではありえんだろう、と思った。

    都道府県が持ち回りでやっている国体も、なぜかほぼ毎回、開催県が総合優勝することが知られている。オリンピックも、さまざまな規定から審判の忖度に至るまで、いろんなレベルで開催国へのヨイショが働いている、世界規模の国体のようなものなんだろう。

    そもそもそういうしくみのものらしいので、あまりナショナリズムをのっけて観戦してもストレスがたまる。それよりは、ふだん見ないマイナー競技のショーケースとして、へぇこんなスポーツがあるんだ、とか、こんな選手がいるんだ、という発見を楽しむ方がずっと楽しそう。たぶん、最初のオリンピックはそういうものだったはず。あくまでもアマチュアスポーツの祭典で、プロは出られなかった。1984年ロサンゼルス大会の商業主義化からいろいろおかしくなったとはよく言われる。

  • 夜のウォーキングがてら寄ってみた。コロナ後初めてのフルスペックでの開催だっけか。

    今年は恒例の花火はなかったが、予算不足とか火の粉が散る対策が難しいとか、いろいろ事情があってやめたらしい。何十年もやってきたのになぜ今さらそんな理由で、とも思うが、川の周りにも住宅やマンションが増えて、苦情が出るようになったのかもしれない。

    ともあれ、若者や家族連れが楽しそうにやっているのを見るのは微笑ましい。

    焼きそばは500円だった。意外と値上がりしていない。

  • 8/2(金)

    友人の皆さんと新宿にて。

    魚を食べながら転職事情などを聞く。あれほど優秀な人がそんな理由で退職せねばならないとは、マジクソだせぇ会社だな、という感想(大変お世話になった古巣ではあるが、ダサいものはダサい)。でも次の職場が面白そうな所でよかった。栄転と言ってよいのではないか。

    今回のお店は「新宿で魚が美味しい店」という条件で Claude 3.5 Sonnet に聞いて教えてもらった店の一つ。確かにどの品も美味しくて、店も繁盛していた。AI優秀。

    エジンバラで茶を喫する。全新宿的に喫茶店不足の折、喫煙席でもOKということにしてすぐに座れたが、髪や服に煙草の臭いが付いてしまった。臭い物質の吸着を防ぐスプレー的なものを事前に振りかけておくのがいいかも。

    元日にもらった割引券を行使し、新たに割引券をもらった。無限割引券。