にて、特集「無 その深遠へ」を一部執筆いたしました。科学の歴史で「無」「真空」がどう扱われてきたかを追った記事です。よろしければご覧ください。

「ディラックの海」モデルや半導体の空孔理論では、びっしり詰まった電子に一部「空席」があり、この空席が15パズルの空きマスのようにかちゃかちゃと陰極側へ移動することで、あたかも正電荷のように振る舞う。
数年前にみうらじゅん氏がNHK「最後の講義」で話していた仏教の話が、これとよく似ている。
般若心経では「色即是空」、つまり全ての存在は無・空虚だと説く。月極駐車場によくある「空あり」という看板は、「“ない”が“ある”」と言っているわけで、まさに仏教の真髄を述べた看板なのだ、とMJは言っていた。「自分」という存在も空であり、「自分探し」など何の意味もない。「自分」とは「自分以外」によって規定されている幻想にすぎないのだから、自分探しではなくむしろ「自分なくし」をすべきだ、とも言っていた。これはまさに空孔理論だな、と思った記憶がある。