トリチウム

ようやく、という感じ。

政府 福島第一原発のトリチウムなど含む水 海洋放出方針固める | NHKニュース

処理水の海洋放出に反対する論点にもいろいろあるが、「生理的に無理」というような感覚の問題を除けば、

  1. トリチウムがヤバい
  2. トリチウム以外の残留核種がヤバい

のどちらかだろう。

1. については、海に捨てたトリチウム水 (HTO) が人体に危険な濃度になるまで濃縮される過程が地球には事実上存在しないので、ヤバくない。H2O も HTO も化学的にはただの水だから。生体内であれ、無機的な過程であれ、そういう濃縮過程がもし存在するのなら、その過程を利用して HTO だけを集めて除去できる。ヒラメの体内でトリチウム水が濃縮する(そんなことありえないと思うが)というのなら、処理水で大量のヒラメを飼えばトリチウムを効率的に除けることになる。そういううまい濃縮過程が存在しないから、ALPS で除去できなくて困っている。

HTO は H2O と化学的振る舞いが同じなので化学反応で HTO だけ集めることはできない。ただ、HTO 分子は H2O より 20/18 倍重いので、例えば蒸発するときに、HTO の方が H2O より少しだけ蒸発しづらい(重い分、飛び出すのに余計に運動エネルギーが要る)。化学的振る舞いではなく、こういう「物理的振る舞い」の違いを利用すれば理屈の上では集められる。発想としてはウラン濃縮の各手法と全く同じ。だが、きわめてわずかな違いなので現実には無理。

実際、トリチウムは核兵器(水爆)や核融合炉に必要な物質なので社会としての需要はあるのだが、物理的性質を使って海水中の HTO を選り分ける、といった手法はトリチウムの工業生産では使われていない。原子炉の制御棒にリチウム6を含むセラミックを使い、6Li + n → 4He + T という反応で Li から T を作るという手法がもっぱら使われている。

2. の残留核種については、現時点でタンクに保管されている処理水のうち、放射性核種の濃度が「そのまま海に流してもOK」とされる環境基準より低いものは約3割。7割は環境基準よりまだ高い。もし海洋放出する場合、この7割については、海水で薄めればいいんじゃないのと個人的には思うわけだが、東電としてはそうではなく、ちゃんともう一度 ALPS に通すなどの二次処理をして基準値以下にしてから放出する、と決めている。

ここでいう「環境基準」とは、「告知濃度限度」と呼ばれているもので、水への放出の場合は、

その水を70年間毎日2L飲んだ場合の平均線量率が (自然放射線 + 1 mSv)/年 になる濃度

大気への放出の場合は、

その大気を70年間呼吸し続けた場合の平均線量率が(自然放射線 + 1 mSv)/年 になる濃度

とされている。これが具体的に何 Bq/L なのかは核種によって違うので、核種ごとに告知濃度限度が決まっている。福島第一の処理水のようにいろんな核種が混ざっている水の場合は、告知濃度限度に対する比率(告知濃度比)を核種ごとに求めて、その「和をとった」結果が 1 未満なら海に流せるということになっている。異なる比率の和をとるって何だそれ、気持ち悪っ! という感じだが、こういう操作にしておけば少なくとも基準値として危険側に倒れる心配はないのでいいってことなのだろう。(和をとる代わりに平均をとったりしちゃったら危険で意味がなくなる)

という感じで、海に捨てていいかどうかの線引きはありえないほどマージンを見込んだものになっている。ここまで厳しい基準値で告知濃度比が 1 以下になった水だけを捨てますというんなら、さすがにいいんじゃないの、と個人的には思う。もちろん、海産物の放射能も引き続きモニタリングするわけだし。

放射性元素はどこにでもある。人体にも K-40 が約 4000 Bq 含まれているし、水道水や血液・リンパ液の水分子のうち10の18乗個に1個は HTO である(宇宙線によって大気中でトリチウムが日常的に作られ、環境に取り込まれている)。自然界の放射線も人工的な原因による放射線も、DNA を壊して癌細胞を生むといった作用に全く違いはない。安全か危険かは「量」「割合」だけでシンプルに決まる。

tumblr の新 post editor は上付き・下付き添字を書けないので、こういう話を書くときに不便だということに気付いた。