父の家族

前にも書いたが、父方の祖父は福岡でバプテスト派の牧師をしていて、祖父母の一家はクリスチャンだった。1930年頃に九州・中国地方のパプテスト教会を統括する組合で内部分裂があり、祖父は分派して出て行った側の若手幹部だったらしい。この分派は信者の霊的体験とか、トランス状態になって叫ぶとか踊り出すとか、そんな体験を重要視するという、バプテストの教義とは相容れない要素を持つ団体で、まあ今でいうカルトである。リーダーだった人物に祖父母も付き従い、福岡から広島の呉に移って伝道活動をした。

戦時中、祖父は家族を連れて朝鮮へ渡り、教員をしていたと聞いている。まあ小規模な教団の伝道活動では食えなかったのだろう。終戦の直前に父が生まれ、終戦とともに呉に引き揚げた。

父は6人きょうだいの末っ子で、一番上の兄は終戦当時12歳だった。祖父はこの長男を教団のリーダー(T先生と呼ばれていた)の家に住まわせ、T先生の家の雑事をさせた。貧しかったので、教団への献金の代わりに自分の息子を労働力として差し出したということかもしれない。ひどい話だ。

この長男(俺にとっての伯父)はそこそこ聡明な子供だったと聞いているが、T先生宅での奉公によって、T先生一家からあからさまに虐待を受けたり、教祖としての表の顔とは全く異なるT先生の俗物ぶりを見たりと、相当に苛酷な体験をして、精神を病んだ。一生のほとんどを精神病院に入院して過ごし、昨年亡くなった。

6人きょうだいのうち、父の姉2人(俺の伯母)にも、入院まではいかないものの、軽い発達障害か精神障害のようなものがあり、就職はできずに障害年金で暮らしていた。片方の伯母は俺が5歳の頃に、よく分からない男と結婚したが、ろくに働かずに伯母の障害年金を食い物にするヒモのような男だったらしい。この伯母は50代で病死した。

もう片方の伯母は一人暮らしをしていて、父がたまに様子を見に行ったりしていたが、数年前に孤独死した。

祖父母や父のきょうだいからは、親族としての親しみや温かみをほとんど感じなかった。母方の親戚とは違い、付き合いもほとんどなかった。どういうわけか、喜怒哀楽の情動が薄い人達ばかりだった。信仰が影響したのかどうかは分からないが、歪さを感じる家族だった。父はそういう生い立ちだったので宗教は大嫌いで、きょうだいの中では唯一、情愛や思いやりという面でごく普通の感覚を持つ人だった(が、競馬の必勝法の研究にのめり込むという別の欠陥を持っていた)。

T先生は1950年代に亡くなり、その後の教団がどうなったのかは父からも聞いていない(T先生の系譜を引く教団は現在も呉ではない場所で存続しているようだ)。

父は関東の大学に進学し、母と出会って結婚した後、祖父母を呉から埼玉に呼び寄せて同居を始めた。埼玉でも、祖父母はT先生の教団と縁がある(?)別の教団の信者となって活動を続けていた。父母にも入信を勧めたり礼拝に来いと言ったり、ろくに金もないのに教団の教祖のために車を買って寄付したりして、父母とことあるごとに喧嘩していたのを覚えている。

まあそういうわけで、自分は言ってみればカルト3世ということになる。オウムや統一教会ほど先鋭的ではなかったが、カルトが家族関係をどのように蝕むかについては幼少期からそれなりに見聞してきた。父と母が、祖父母の面倒を見ながらも、祖父母の宗教からは俺達子供達を防衛するという難しい舵取りを続けていたことが、今はよく分かる。父や親族の死去に伴って、今では祖父母一家の残骸の後始末が俺のところにも時折回ってくる。

父は生い立ちについてあまり話さなかったので、祖父母の家族の歴史については今となっては分からないことも多い。ライフワークとして、この教団の文献や資料を集めてみるのも面白いと思っている。