月食の「赤銅色」

皆既月食の色がなぜか決まり文句のように「赤銅色」と形容される件について。

川村晶さんのツイート。

自分はいつも、「白い小皿に出した醤油の色」に似てるなと思っている。もしくはイクラ。

「赤銅(しゃくどう)」は銅に金を数%混ぜた合金のことで、昔から金属工芸でよく使われる。そのままだと銅と大差ない色だが、銅イオンの水溶液で煮沸する「煮色」という工程を経ると、酸化皮膜ができて紫や黒に近い色になるらしい。

皆既月食を「赤銅色」と呼ぶ風習はどこから始まったのか、国立国会図書館サーチで「月食 赤銅色」「月蝕 赤銅色」などで検索してみた。こういう調べものを家でできるのは、インターネットと文献の電子化のおかげ。良い時代。

国会図書館デジタルコレクションで見つかる一番古い文献は、1900年(明治33年)の『星学』という本だった。百科事典の中の一冊らしい。皆既月食の説明の中に「赤銅色」が登場する。

…然るに其の全く蝕するに及んでも月は全く闇黒となるにあらず、尚ほ赤銅色の光を放つ。…

須藤伝次郎 著『星学』,博文館,明33.12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/831010 (参照 2025-09-18)

1906年(明治39年)の『言文一致文範』という本には、おそらく言文一致体の文例として、小森松風という人が書いた「田園日記」という日記文の一部が引用されており、月食を見たという記述の中に「赤銅色」が登場していた。天文学の文献ではない一般の文章でも、月食に対して「赤銅色」という表現を普通に使っていたことが分かる。

…かくて月面は赤銅色を呈し、あるいは薄青紫色を帯び、十一時五十分に至つて全く復月した。…

小森甚作 編『言文一致文範』,女子文壇社,明39.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/866665 (参照 2025-09-18)

1910年(明治43年)の「天文月報」(現在も出ている日本天文学会の定期刊行物)では平山信先生が、1909年11月27日に起こった皆既月食中の掩蔽現象を写真撮影した報告を書かれていて、そこに「赤銅色」の表現が登場する。

…其目的は、第一、皆既月食の時分、月面が我々の目には赤銅色をして見えるが、其薄い光が寫眞乾板に感ずるや否や。…

『天文月報』3(7),日本天文学会,1910-10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3303874 (参照 2025-09-18)

余談だが、「月食の正字は「月蝕」であり、「月食」と書くようになったのは戦後である」的な思い込みが間違いであることも、この天文月報の記事から分かった。

国会図書館の資料で遡れるのはこのへんまでだが、これらを見る限り、もっと昔から広く使われていた用法ではないかと感じさせる。

用例を検索していて改めて思い出したが、「赤銅色」という色名が赤銅以外の色を例えるのに使われる圧倒的に多い場面は、実は月食の色などではなく、「人の肌の色」である。文学好きな人にとっては、「赤銅色の肌」はおそらくおなじみの表現。

漁師の肌、印度人の肌、土人の肌(※ 検索で出てきた当時の用例のママ)のように、よく日焼けして艶のある肌や人種的に褐色の肌のことを「赤銅色」と表した用例が実にたくさん目に付く。

「たらちねの母」などと同じ一種の枕詞として、「赤銅色の」と来たら真っ先に「肌」である、というのが、少なくとも明治期の人々にとっては普通の感覚だったらしいことが用例検索から窺える。

「赤銅色の肌」という用法は現代の辞書にも載っている。しかし、文学作品以外ではもはや化石的な表現かも。自分も忘れていた。人の肌の色にことさら言及しないという昨今のポリコレの風潮も、この表現の衰退を加速させているかもしれない。

上で書いたように、赤銅は煮色着色によって黒ずんだ色になる。「赤銅色の肌」とは、生の赤銅の色というよりは、この黒っぽく変化した後の色調に例えた言葉らしい。

上述の赤銅では銅に1~5 % の金を添加した合金を用いる。この合金を加熱した煮色液に 1 時間ほど浸漬すると,表面に黒青色の皮膜が生ずる。これを赤銅という。赤銅色に日焼けしたというのは,この色のような日焼け具合をいう。

金属に彩りを添える伝統工芸着色法, 北田 正弘・桐野 文良, 表面科学 Vol. 26, No. 4, pp. 226―230, 2005

おそらく昔の人にとっては、刀装具や茶道具、金工の象嵌など、生活のさまざまな場に赤銅の現物があり、「赤銅色の」という表現は“暗い褐色で光沢を持つもの”を指すときに誰でも口にする、定番の形容詞句だったと思われる。

現代ではこれら赤銅の現物が身近なものでなくなるのと同時に、ポリコレ的な配慮もあって肌の色の形容にも使われなくなり、「赤銅色」はもはや皆既月食のときにだけ唐突に登場する不思議な語に見える、ということかもしれない。