依存症

大谷の専属通訳氏の話題をきっかけに、父のことを改めて考えたりしている。何か書いておこうと思ったが、死んだ直後に書いたものを改めて読み返すと、我ながらよく書けていて、特に足すこともなかった。

自分は精神科医ではないので、父がいわゆるギャンブル依存症だったのかどうかはよく分からない。どちらかというと、ギャンブル依存というよりは誇大妄想に近い感じもする。林公一先生のサイトで、何となく父と傾向が近い相談を見つけた。

ただ、誇大妄想というのはあくまでも症状の呼び名であって、大もとが何の精神疾患なのかはいろいろあり得るようだ。

改めて母とも話したところ、父と母がまだ交際していた頃からすでに、父が母に金を貸して欲しいと言ってきたことがあって驚いたとか、俺が生まれたときに、出産費用として貯めていた母の預金を父が勝手に引き出して使っていた、などという、50年生きて初めて聞く父のクズエピソードが出てきて、おいおいまだそんな破壊力のある話が埋もれてたのかよ、と呆れた。よく別れなかったな…。

水原とうちの父が同類だったかどうかは分からないが、一つ思うのは、妻をぶん殴って無理やり財布から万札を抜き取って競馬場へ行く、みたいな賭博依存症のイメージは、実相とはかなり違う、という点。すごくいい人で面倒見もよくてやさしくて話も面白くて、という人が、家族や他人の金に手を付けて、問い詰められると上手に嘘や言い訳を駆使して逃げおおせて、ほとぼりが冷めた頃にさらに金を引き出そうとしたり、無理そうだと次のカモを見つけに行ったりする。こういう行動を罪悪感なしにやってくる。

父の場合は、「競馬でトータルの収支をプラスにできる理論がもう9割方完成している」という妄想を自ら信じ、「口が堅いと見込んであなただけに教えるのだが…」という形で、理論を完成させるための資金を援助して欲しい、と言って複数の人から金を借りていた。「あなたに絶対に迷惑はかけない」みたいなことをすごく軽く口にするんだよね。一見、非常に好感の持てる性格に見えるが、「金」と「言葉の重み」に関するモラルだけが完全に欠如している、今思えば大変にアンバランスな人格だったし、父が家族にしてきたことは結局、殴らない暴力みたいなものだった。

特に足すこともないと言いつつ、いろいろ書いてしまった。

夏日で暑い。