4月29日のTBS「クレイジージャーニー」で吉村作治氏が大々的に取り上げられたせいか、以前に書いた河江肖剰さんの紹介記事がまたたくさんアクセスされている。
番組は TVer でまだ見られる。
「クフ王のピラミッドは墓ではない」という吉村氏の主張と最近の彼の発掘活動を紹介する内容だったが、現在のエジプト学の主流の立場では、クフ王のものを含めてピラミッドは王墓だと考えるのが一番もっともらしいと当然考えられており、吉村氏の主張は異端である。吉村氏の過去の発掘成果は一流と言ってよいが、ある人物の業績の大きさとその人の主張の正しさとの間にはあまり関係はないので、「ああ、偉い先生でも寝言を言うんだなぁ」くらいに受け止めておくのが大事。
アカデミアでは、「一流の業績を残した大先生が妄言を語る」例はさまざまな場所でごく普通に目にする。森博嗣だったか、そういうのを発症するのは結局、加齢で運動能力が衰えるのと同じような「脳の知的活動能力の老化現象」なのではないか、と書いていた。
「クフのピラミッドは墓ではない」説の根拠として吉村氏が挙げていた点に、各々注釈を付けると以下のようになる。
- 「玄室に壁画やレリーフがない」
- 王墓の玄室や棺に絵やヒエログリフがびっしり描かれているというイメージは、「王家の谷」に埋葬されているラムセス2世とかツタンカーメンとかの「新王国時代」(1550 BC – 1069 BC)の王墓のスタイルであり、三大ピラミッドが建てられた古王国第4王朝(2613 BC – 2494 BC)やそれ以前の時代にはまだみられなかった。玄室にそうした装飾が最初に出現したのは、クフ王から200年以上経った第5王朝最後のウナス王(2345 BC – 2315 BC)の時代である。三大ピラミッドと新王国の間には1000年の時間差があり、墓制や流行、宗教観も当然変化するはずで、クフのピラミッドが新王国時代のスタイルと違うから墓でないと結論するのは、平安時代の墓が現代の墓に似ていないから墓ではないと主張するのと同じくらい荒っぽい言説。
- 「クフの石棺はツタンカーメンの人型棺が入らないくらい小さい」
- これも上に同じで、「ツタンカーメン王墓の形式が古王国時代にも共通する」という前提自体に正当性がない。(小さいとは言うが、クフ王の石棺の全長は227cm、内寸で197cmあり、当然成人男性の身長は納まる。)
- 「玄室は地下に設けるのが普通で、クフのピラミッドのように地面より高い場所に玄室を置く墓などない」
- クフの父(先代)であるスネフェル王のピラミッドは3基あるが、メイドゥムの崩壊ピラミッドの玄室はぎりぎり地上、屈折ピラミッドは地下と地上(2室)、赤ピラミッドもぎりぎり地上にある。クフほど高い場所にある例は確かにないが、「玄室は必ず地下」というルールがあるわけでもない。ピラミッド内部の通路と部屋の配置はピラミッドごとに大きく違っていて、共通性を語るのが難しいほどバリエーションに富んでいる。クフ王の玄室の配置をもって「墓でない」根拠にするというのもあまり正当とは思えない。
- 「クフのピラミッドはおそらく、墓ではなく宗教施設か天体観測施設である」
- ギザに限らずピラミッドというものは、ピラミッド単独で建てられるのではなく、周壁、参道、葬祭神殿、河岸神殿、港などからなる「複合施設群(pyramid complex)」として建設される。クフのピラミッド複合体の建設には約20年、述べ2万〜3万人が参加したと推定されており、これほどの巨大建設プロジェクトを王の代替わりごとに行うにもかかわらず、これが王墓でなくただの宗教施設や観測施設だと考えるのは説得力に欠ける。ピラミッドの内部通路には侵入を防ぐ石落としなどの機構が何重にも作られているわけで、埋葬を目的としない宗教施設や観測施設にそのような仕掛けが必要なはずもない。
マジレスをすればこのような感じで、今さら王墓でないと主張するのはかなり無理がある。テレビのようなメディアは「退屈な事実」よりも「奇抜な嘘」を面白おかしくお涙頂戴で伝える方が儲かると考えるものなので、そんな人々が放送するものを鵜呑みにしても仕方がない。私財をなげうって老骨にむち打ちエジプトで掘り続ける吉村氏の姿に小池栄子が涙ぐんでいたが、生き様から伝わる迫力と学問的な正しさは別の話である。
河江さんが著書や動画で繰り返し説明しているが、考古学では出土遺物の「文脈 (context)」が非常に重要になる。一つの遺物を見るだけでなく、同時代や前後の時代の物とどうつながっているか、近隣の場所からどんなものが出ているか、という時空間上での遺物間の関係を押さえることが大事。吉村氏の「王墓でない」説には、コンテクストを考える視点が致命的に欠けている。クフの「真の墓」を見つけたいという野心ばかりが先に立ち、遺物同士が織りなすコンテクストの面白さや、それらが語る情報の豊かさにはあまり興味がない人なのだろう、という印象。
番組後に河江さんは次のようにツイートしている。
大人のサブカルとして異端の学説を半笑いで楽しむ分には害もないが、本気で信じてプロの研究者に絡んでくる素人さんたちがいる。そうした人たちへの河江さんのツイート。(こちらは今回の番組とは関係なく、1月のもの)
吉村的視点ではない真のエジプト学の入門書として、河江さんの『ピラミッド:最新科学で古代遺跡の謎を解く』はかなりおすすめ。単行本の『ピラミッド・タウンを発掘する』を改題した文庫本。先行研究の引用や参考文献リストがちゃんとしていて、安心して読める。
「ほぼ日」でも河江さんと糸井重里の対談が掲載されていて、これも面白い。