2/7(土)
浴室・洗面所周りを掃除。浴室の折れ戸が死ぬほど汚れていて、水をかけると隙間から際限なく埃が出てくる。
トイレのタンクの合わせ目に硬い汚れが付いて落ちない。常に水滴があるせいで、鍾乳石のようにカルシウムが付いた感じ。クエン酸を使ってみるか。
期日前投票は木曜日に行った。平日昼間だったが、なかなか混んでいた。
お便りを紹介していただいた、Perfume の P.T.A. 向けラジオ最終回を今もちょくちょく聴き返している。若い人がよく言う、「まだ味がする」というやつ。他愛もない三人のやり取りが面白い。いつも屈託なく大笑いしていて、人柄の良さを感じる。
「ポリリズム」以前の Perfume の歴史を知るには、当時のファンの方が作った年表が大変役に立つ。運営元がサ終しているwebサイトのようだが、消えないで欲しい。
当時のライブレポートなどを集積している Perfume@wiki も有用。
2006年4月のロフトで俺が見たHIPHOPダンスとおそらく同じ演目が、2003年9月撮影の動画として YouTube に上がっている。ラジオであ〜ちゃんが口ずさんでいたのはたぶんこの曲。
亀戸サンストリートでの映像で、自分が Perfume を見始めた時期のさらに3年前。三人は当時中学3年で、広島から上京した年のはず。
当時はスマホなどなかったので、ファンがビデオカメラで撮ったのだろう。こういう現場に通っていた人こそが真の古参ファンなのだが、いつの間にかいなくなった。
かしゆかがラジオで、「あんなスタンディングのライブハウスで、フロアに入るHIPHOPやってから。誰も見えとらんw」と言っていたので思い出したが、ロフトでやったときは確かにフロアの前の方を空けてあって、ダンスの途中でステージからフロアに降りて踊る時間があった気がする。何をやっているのかよく見えなかった。笑
2003年はアミューズ所属の若手女性アーティストの合同プロジェクト「BEE-HIVE」が立ち上がった年で、Perfume もその中にいた。ハロプロや沖縄アクターズスクールの B.B.WAVES をモデルにしたプロジェクトだったらしい。アミューズの女子寮にwebカメラを置いて24時間ライブ配信をしたり、亀戸サンストリートやサンリオピューロランドで、修業として日常的にステージに上がっていた。
上の動画と同じ人が撮った「彼氏募集中」も面白い(なぜかこの動画は埋め込みできず)。マイクスタンドを用意する間も客を飽きさせない小ネタを仕込んでいたり、間違えて「スーパージェットシューズ」のオケが流れてしまい、かしゆかが曲の頭出しをしている間にあ〜ちゃんとのっちがフリートークで場をつないだり。中3の時点で既に、現場で相当揉まれていたことが分かる。
2004年になるとSHIBUYA BOXXやO-Crest, O-WESTなどの小さなライブハウスに出るようになる。ラジオで、「O-Crestは200人、O-WESTは2階も入れて500人」などと今でも定員数をすらすら言っていたのがさすが。あ〜ちゃんが「あのO-なんとかっていう所にも来ていただいてたんでしょうか、taroさん」と言ってくれたが、自分はこの頃はまだ見ていない。
2005年以降の歴史は、
- 2005年
- 8月「AKIHABALOVE」(ぱふゅーむ×DJ momo-i)
- 9月「リニアモーターガール」でメジャーデビュー(オリコン99位)
- 2006年
- 1月「コンピューターシティ」(オリコン35位)
- 6月「エレクトロ・ワールド」(オリコン77位)
- 8月 アルバム「Perfume 〜Complete Best〜」(オリコン66位)
- 10月 武蔵野美術大学芸術祭出演
- 12月「Twinkle Snow Powdery Snow」(配信限定)
- 2007年
- 2月「ファン・サーヴィス [sweet]」(「チョコレイト・ディスコ」収録、オリコン31位)/「Perfume 〜Complete Best〜」通常盤
- 3月 ライブDVD「ファン・サーヴィス [bitter]」
- 3月 木村カエラに見つかり、彼女のラジオでパワープレイ
- 7月 AC+NHKのCMに「ポリリズム」起用
- 9月「ポリリズム」(オリコン7位)
という感じで、大きくブレイクしたのは2007年だが、コアなアイドルヲタの外で人気に火が付き始めたのは2006年のどこか。
何が一番効いたのかはいまだによく分からないが、2005年くらいから「申し訳ないと」のDJイベントに呼ばれたり、宇多丸氏・掟ポルシェ氏があちこちで推してくれたり、掟さんがレコ発イベントの司会をするようになったのがやはり大きかったのかもしれない。2006年3月に掟さんの結婚式に Perfume が呼ばれて歌を披露して、それがきっかけで多くの業界関係者の目に触れたとも言われる。
もう一つ大きかったのは、「コンピューターシティ」からビジュアルが大きく変わったことではないかと思う。アイドル風または「近未来型テクノポップユニット」風にガチガチにコスチュームやヘアメイクを作り込むのをやめて、普段でも着られるくらいの、白系を基調としたおしゃれな衣装に変わった。アイドルヲタでない人たちでも、恥ずかしがらずに「Perfume が好きです」と言えるような雰囲気を提示したのが、わりと重要だったと思う。なので、「シティ」から衣装を担当した内澤研さんの功績も大きいと思っている。
2006年には Perfume は解散の崖っぷちにいた、と言われることがある。BEE-HIVE が大きくブレイクすることなく、2005年末で活動を終え、BEE-HIVE の一員だった Buzy が2006年に解散した(BOYSTYLE は2007年解散)。Perfume も解散させるか、というのがアミューズ上層部の意向だったが、所属レコード会社である徳間ジャパン側から異論が出て、特に徳間の長谷川さんという人が「辞めないで済む数字の条件を出してくれ」とアミューズに言ったと。それで、1stアルバム「Perfume 〜Complete Best〜」(通称「コンベス」)の初回プレス1万枚のうち7000枚ハケるようなら続けましょうとなった、という話がある。どの程度本当なのかはよく分からないが、中の人達と交流があった掟さんもかなり具体的に名前を出してそういう証言をしているので、まあ本当だったのかも。
2020年になってから、諸々の資料を引用して当時何があったのかを検証しているブログもある。
結果としてコンベスは、初動こそ66位だったがその後着実に売れ続けて、2007年2月には通常盤が出るようになり、同時に「チョコレイト・ディスコ」が入ったシングル「ファン・サーヴィス [sweet]」もリリースされて一気に勢いが加速した。
実際に2006年を思い出すと、「コンベスで解散」説は確かに 2ch などで言う人もいたが、自分の感覚ではそこまで深刻な雰囲気ではなかった。ベスト盤を出して解散というのは確かによくある話だが、1st アルバムのタイトルが Complete Best なのはまぁ洒落だろ、と自分は思っていた。むしろ、ずっと待望していた1stアルバムがようやく出て、ジャケ写も曲も最高だったので、これで終わりなんてあるわけねぇだろ、まだ始まってもいねぇよ、と思っていた気がする。
実際、コンベスが出る1か月前にはスカパーで「パッパッパッパッパッパッPerfume」という冠番組も始まっている。店じまいするつもりなら冠番組の企画など取ってくるはずもないわけで、少なくともアミューズと徳間の、上の方ではない「現場の」人たちには Perfume を終わらせるつもりなどさらさらなく、2006年は相当攻めていたと思う。
とはいえ、それでも自分はどこかで少し心配もしていて、2006年12月に新曲「Twinkle Snow Powdery Snow」が配信でリリースされたときには、「新曲が出るってことはまだ続くんだな」とひと安心した記憶がある。
以上、雪が降って外にも出られないので、需要のない思い出話など。
