がいた、という話をライデン大学のプレスリリースで読んだ。
ハレー彗星は約76年ごとに回帰する周期彗星で、歴史上の記録に登場する大彗星の出現のうち、ハレーだと同定されているものがたくさんある。1066年4月に出現した大彗星もハレーだと考えられていて、有名な「バイユーのタペストリー」にも描かれている。
12世紀のイングランドに、修道士で歴史家の「マルムズベリーのウィリアム (William of Malmesbury)」という人物がいて、『イングランド王の偉業 Gesta Regnum Anglorum』という歴史書を書いている。
この本の中でウィリアムは、当時マルムズベリー修道院にいたエセルマー (Eilmer / Æthelmær) という老僧について書いている。エセルマーは占星術に関する著作があったり、手足に翼を付けて飛行する実験をして骨折したりした少し変わった人物だった。
1066年に大彗星が出現したとき、エセルマーは恐れおののいて、「お前が来たのか? 多くの母たちに涙をもたらす星よ。久しく見ていなかったが、今こうして見ると、さらに恐ろしい。我が母国の滅亡を誇示するかのようだからだ」と言った——とウィリアムが書き記していることを、今回の論文の著者は指摘している。(口ぶりからして)エセルマーは1066年の一つ前、989年のハレー彗星の回帰も見ていたようだ、と。まあ老僧であれば2回見ていてもおかしくはない。
つまり、ハレー彗星が周期彗星であることを17世紀のエドモンド・ハレーよりも前に指摘した人物がいたというわけで、この彗星を「ハレー彗星」と呼ぶのは再考してもいいのでは、的な内容。
ただし、実際の論文を読んでみると、論文の著者たちは「命名を再考すべし」などとは書いていない。そこはライデン大学の広報が盛って書いた感じ。
以下の本に収録される論文らしい。
A. Willemsen & H. Kik (eds) 2025, Dorestad and Everything After. Ports, townscapes & travellers in Europe, 800-1100. Leiden: Sidestone Press
(= Papers on Archaeology of the Leiden Museum of Antiquities 35), pp. 123-138.
ちなみに、この論文の著者であるライデン大学の Simon Portegies Zwart 教授は、大学院時代に私がいた研究室にポスドクとして来ていた時期があり、よく覚えている。CVを見たら、もう還暦を過ぎていた。時が流れすぎ。
あるとき、何かの手続きでSimonが自分用の印鑑が必要になったことがあり、名前をヒエログリフで刻んだはんこを注文していた。確か趣味で柔術もやっている、多芸多才な人だった。オランダ人ならアーネスト・ホースト知ってる?と聞いたら、知らないと言っていた。研究室の先輩のKさん宅で、Simonを交えてみんなで鍋料理を食べた記憶がある。いろいろ懐かしい。
