日本語では「オリンピック」だが、英語で名詞として使うときは必ず s が付いて Olympics になることを今さらながら知った。Paris 2024 Olympics みたいに。語形の挙動としては physics や economics と似ている。
(ちゃんと書くと The Olympic Games Paris 2024 という感じだが、この場合の Olympic は Games を修飾する形容詞になっている。)
-ics を語源辞典で調べると、学問分野の名前などで「○○に関する(属する)こと全体」を表すときに、ギリシャ語で形容詞の語尾 -ikos の中性複数形を使うという慣習があり、この慣習が16世紀にリバイバルして「なんとか-ics」という形の名詞が生まれたとのこと。16世紀以前にすでに英語の名詞ができていたものについては -ics 型ではなく -ic 型が多いとのこと(arithmetic, music など)。
Olympics も、いろんな競技を含んだ総体という意味で -ics という語尾になっているようである。
今大会、自分はあまり熱心に見ていないが、誤審だとかいかさまルーレットだとか、いろいろ突っ込まれている。完全に根拠のない個人的感想だが、要するに「オリンピックはガチではない」「競技というよりは興行である」ということなのだろうと思っている。
そのことを最初に感じたのは、1988年ソウル大会や1992年バルセロナ大会のあたりだったと思う。ソウルでの韓国の金メダル獲得数は、ソ・東独・米に次ぐ第4位、バルセロナでのスペインの獲得数は、旧ソ・米・独・中・キューバに次ぐ第6位だった。開催国には自国の慣れた競技場を使える優位性があり、また国家を挙げて選手強化を行うので、ある程度強くはなる。とはいえ、韓国やスペイン程度の国力の国がいきなりランキングの上位に入り、次の大会になるとあっさりランキングから消えるというのはやっぱりガチンコではありえんだろう、と思った。
都道府県が持ち回りでやっている国体も、なぜかほぼ毎回、開催県が総合優勝することが知られている。オリンピックも、さまざまな規定から審判の忖度に至るまで、いろんなレベルで開催国へのヨイショが働いている、世界規模の国体のようなものなんだろう。
そもそもそういうしくみのものらしいので、あまりナショナリズムをのっけて観戦してもストレスがたまる。それよりは、ふだん見ないマイナー競技のショーケースとして、へぇこんなスポーツがあるんだ、とか、こんな選手がいるんだ、という発見を楽しむ方がずっと楽しそう。たぶん、最初のオリンピックはそういうものだったはず。あくまでもアマチュアスポーツの祭典で、プロは出られなかった。1984年ロサンゼルス大会の商業主義化からいろいろおかしくなったとはよく言われる。