4/6、@グランドシネマサンシャイン池袋。IMAX レーザーGT(謎)の方で観た。最上階なので見晴らしが素晴らしい。朝一の 08:20- の回にした。何しろ長いので、後の回にすると観劇後に何かする予定を入れられなくなる。
IMAX で日本最大とかいうスクリーンだったらしい。あいにく後ろの席が売り切れていたので4列目を購入したが、やはり日を変えてでも、もっと後ろが良かったかも。前の席だとビルの外壁を見上げるような感じで、被写体のパースがよく分からなくなり、字幕ばかりが大きく視野を占める状態になる。
以下ネタバレあり。
★
★
★
★
★
★
★
★
★
★
20世紀半ばのスター物理学者がたくさん登場するので、前半のマンハッタン計画までの話は「これが誰それか」「この人は本物に似てる」「この人は似てない」といちいち考えながら観るのが面白い。キリアン・マーフィーのオッペンハイマーとマット・デイモンのグローブズ准将はすごく似てた。エドワード・テラーも雰囲気はよく似てる。ボーアは全然似てなかった。アインシュタインも大して似ていないが、あの髪型と口髭があればまあアインシュタインにはなる。ハンス・ベーテは禿げの俳優がやっていたので、最初の方はフェルミだと勘違いした。マンハッタン計画時代の写真を見ても、ベーテはそこまで禿げてはいない。
フェルミはシカゴ大で史上初の原子炉 CP-1 を作って臨界を達成した後、1944年9月以降はロスアラモスにいたらしいが、映画では CP-1 のシーン以降、全然出てこなかった気がする。
ジョン・フォン・ノイマンも全然出てこないのが不思議だった。映画のオールキャストを見てもフォン・ノイマンはいない。彼が爆縮レンズの計算をやり遂げたおかげでプルトニウム原爆が実現したことは有名。まあ実際、彼はロスアラモスに常駐ではなく、ふだんはワシントンにいてたまにロスアラモスに来る感じだったらしい。科学史としてはフォン・ノイマンに言及しないのはありえないが、映画はあくまでもオッペンハイマーの話なのでそこは削ったということか。WW2とそれ以降のフォン・ノイマンの仕事については以下の記事に詳しい。
リチャード・ファインマンは当時若手で、劇中でも名前が出るシーンは特になかったが、パーティーでやたらボンゴを叩いていたのと、トリニティのときに車のフロントガラス越しに見れば紫外線を避けられるからサングラス要らねぇ、と言ってた人物がたぶんファインマンですね。『ご冗談でしょう、ファインマンさん』にその回想が出てくる。
全体的に、科学史だけの映画というわけでもないので、科学の話を見たい人は少し物足りなさを感じ、そういう話を知らない人は情報量の多さに置いてけぼりにされそう。自分が監督なら、例えばアーネスト・ローレンスの登場シーンで「西部警察」のOPのようにいったん映像を止めて、彼は当時の米国の実験物理のエースで、現代の粒子加速器の原型となるサイクロトロンを発明してノーベル賞をとって素粒子実験物理を開拓した人で、アクチノイドの一番後ろの103番元素ローレンシウムに彼の名前が付いているよ、というような補足説明をいちいちしたくなるが、実際には研究室でトンテンカンテンやっているローレンスが出てきて、二言三言会話するだけで話がどんどん進んでいくという具合。いちいち映像を止めて蘊蓄を入れていく上映会みたいなのをサイエンスカフェで観てみたい。
CGを使わないノーランの映像は素晴らしかったが、トリニティ実験の火球の再現は正直言ってちょっとしょぼさを感じた。やはり所詮は化学的な燃焼だなぁという感じ。ただ、我々が後世の水爆実験の映像などを見慣れているせいで脳内のイメージがインフレしすぎているのかもしれない。トリニティ・広島・長崎の出力は10-20ktなので、水爆のようではないはず。映画を見た後でトリニティ実験の記録映像↓を見ると、それほど悪くなかった気もしてきた。
この映像には比較するものが映っていないので距離感が分かりづらいが、爆心から9kmの位置から撮影されたと書かれているので、東京駅で起きた爆発を中野駅から眺めるくらいの距離になる。そう考えるとこの火球のサイズはやはりとんでもないし、そんな広大な面積にわたって平らな砂漠が広がっている米国は凄い。
後半の赤狩り時代の話は重くて救いがなくて、そこが良かった。敵役のルイス・ストロースAEC委員長が送り込んだ弁護士たちがオッペンハイマーの親ソ的言動や行動の矛盾を激詰めするときに発せられる質問は、もちろん一個人に責任を負わせるべき話でもないのだが、ある面では真理を突いていて、派生して答の出ないたくさんの問いを観客の頭に去来させる。ナチスドイツに先んじるための原爆開発はOKで、ソ連に先んじるための水爆開発はなぜダメなのか、ナチスが降伏して目的を失ったのに開発を続けて日本に落としたのは正義なのか、早く終戦させて犠牲者を減らすために大量殺戮をするという論理はありなのか、大国だけが核を保有してオープンに管理するという理想は本当に理想なのか、などなど。今、ロシアが安保理常任理事国でありながら核恫喝をちらつかせて侵略戦争を続けていたり、1000人殺された報復に3万人殺しているイスラエルの状況があったりするが、これらの話をどうすればいいのかという今の私たちの問題が、どうしても頭に浮かぶ。
広島・長崎に関する言及や描写は、少なくとも作中に登場した数字に過小な感じはなかった。ストライプの服を着ていた人はストライプの模様通りに火傷を負った、爆風を避けられて喜んだ人々が数週間後に死んでいった、といった会話は、日本人の感覚からするとまだ生ぬるく、それを被害の全部だと思わないで欲しいとは思うが、当時の米国人同士の会話だと思えばまあそんなところかも。実験成功後の祝賀会でオッペンハイマーが怖ろしい幻想を見るシーンあたりにノーランの意思は表れている。この内容なら、日本での上映をためらうこともなかったのでは、と思うが、どうなんだろう。
全体的に、分かりやすい善人や悪人が一人も出てこなくて、オッペンハイマーを含め、みんなそれぞれ善良さと胸糞悪い部分を持っているのがリアルで良かった。最近、良かった映画はだいたい2回以上観ているので、これも多分もう一度観に行く。スルーしたところを見直したい。