昨夜、久々にウォーキングを再開し、ついでに夜桜を見物。iPhone のナイトモードはよく写るなぁ。(いつも言ってる)


今日の昼間も買い物の途中でちょっと見物。狭山っぽい風景。

さる事情により、母が自分の車に乗れなくなって俺や妹が外出時に車を出している。それで実感したのだが、母くらいの年齢の女の人は世間の男たちから日常的にナメられている。
病院の医師の応対や車のディーラーの担当営業の接客が雑である、というような話をたまに聞いてはいた。自分の日常の経験では失礼な人に会うことはさほど多くないので、母がそういうことに過敏なだけではないかとも思っていた。
先日たまたまディーラーに行く用事で初めて母に同行したのだが、先方の営業マンの態度はまあ普通に丁寧だった。しかし帰りの車の中で母が言うには、「今日は(俺がいたので)私が一人で行くときとは態度が全然違った」とのこと。いつもはもっとやる気がないし、ぞんざいだと。そして、「今日も、私の車の話なのにあの人は一度も私の方を見て話をしなかったでしょ」と言った。それは確かにそう。
別の日、病院に同行した。母の前に診察を受けていたのも母と同じくらいの年齢の女性で、診察室の扉を開けていたので医師の応対の様子がよく見えた。なんかタメ口で高圧的で横柄だった。なるほど、こういう感じか、と思った。
母の番になったので自分も付き添いで入室。経過はいいねという話で、次回以降の診察の話をして終わりそうになったので、数週間前から母が気にしていた(俺も気になっていた)症状について俺から質問をしてみた。途端に口調がですます調になり、横柄さが消え、こういう症状が出ることは普通にあるが心配ないとかなり丁寧に説明し、ぺこぺこと頭まで下げた。
おばちゃん(おばあちゃん)相手の時だけ、あるいはもっと広く、女性が相手の時だけ、なんか横柄になる男というのが年齢に関係なくいる。あるいは「どうせ難しい話は分からないだろう」という態度で接するとか。母たちが日常的にこういう応対を受けて、毎日のように自尊心を薄く薄く削り取られているという事実に遅ればせながら気づいて、陰鬱な気分になった。と同時に、自分もそういうマイクロアグレッションをこれまでにしていた可能性が高いということにも気づいて、深く反省した。