出張、平和賞

10/11(金)

仕事で神田へ。バイト先の近く。有意義なお話をさせていただいた。

昼食後、少し散歩をしようと思い、高田馬場近辺を歩く。近くに二等三角点があることが分かったので見に行ったが、学校のグラウンドの中にあるらしく、下校する生徒さんがたくさんいたので入るのを断念。この歳で学校の近くをうろついていたら不審者以外の何物でもない。

三等、四等の三角点はたまにあるが、二等は珍しい。高田馬場駅から歩いて行ける場所なので、いつかちゃんと許可を取って見てみたい。

革靴で長距離を歩いたため、足の裏の皮が痛くなった。

平和賞は日本被団協が受賞。日本の人物・団体の平和賞受賞は佐藤栄作以来。

日本の原水禁運動が受賞候補として名前が挙がることは昔からあったが、そのたびに「でも、団体が分裂してるんだよね。受賞するとしても、どこがもらうんだ?」という話が出ていた記憶がある。

元々は「原水協」という団体だけがあったが、1961年に「原発みたいな平和利用はいいじゃん」という自民党・民社党系の人たちが分派して「核禁会議」という団体を作り、さらに残った原水協の中でも、「米国の核は悪だけど、ソ連の核は米帝に対抗するための核だから“良い核”」と共産党系の人々が冗談のようなことを言い出し、「いや、どの国の核も悪だろ」という社会党系の人たちと対立して、結局社会党系も出て行って「原水禁」という団体を作った。なので今でも3団体あるんですよね。詳細は以下の文書に載っている。2020年時点でもまだ軋轢が残っていることが分かる。理念やイデオロギーで集まった団体は必ず、理念やイデオロギーをめぐって分裂するものである。

結局、今回の賞はこれら3団体ではなく、被爆者の団体である被団協に授与された。まあそうするしかないしね。しかし、3団体の分裂に連動して、被団協の方も県によっては分裂している。詳しくは以下。

授賞のプレスリリースではそういうドロドロした歴史には一言も触れていないが、「反核なのに米国の核の傘に入るのはOKなのか?」「保有国によって“良い核/悪い核”があるのか?」「核兵器はNGだけど原発はOKなのか?」などなど、日本国内だけでなく世界でも、理想と現実の狭間でもがき続けているのが核をめぐる歴史である、という認識は重要。