実に79年。2005年にNHKで放送された美輪明宏氏の被爆体験談を見る。もともと YouTube のショート動画でこれの切り抜きを見て、元ネタを探していた。この放送自体がもう約20年前。
映画「オッペンハイマー」を観たときには、オッペンハイマーが感じた責任や後悔に関する描写は決して悪くないように思ったが、上の美輪さんの証言のような一次資料に改めて接すると、やはり海外の人々に「オッペンハイマー」的なあれが原爆の全てだとは思われたくないとは思う。
自分が小中学生の頃には、年配の教師に戦争体験世代がまだいた。小学校の教頭先生が書写の授業を受け持っていて、戦時中に米軍機が家の近くに墜落したときの話を授業中に聞いた。墜落現場を見物に行ったら、転がっている米兵の遺体が足の先だけ見えて、その足が綺麗な白い肌で肉付きがよくて、俺達と全然違って良いものを食ってやがると思った、とか、大人達が悪態をつきながらその遺体を竹槍でつついていたとか、そんな話をしていた。
8月の七夕まつりになると、屋台が並ぶ通りに軍服姿で片足がないような(自称)傷痍軍人という人が現れて、ハーモニカを吹いて投げ銭をもらう光景を、1980年代前半くらいまでは見かけた。本物の復員兵だとすると当時でも60代にはなっているはずで、今思えば騙りだったのだろう。
東京ドームで NewJeans のハニちゃんが「青い珊瑚礁」を歌って日本の昭和おじさんたちが一気にバニーズになったと話題になっていたが、あれは1980年(44年前)の曲。1945→1980年よりも、1980→2024年の方がもはや時間的距離が遠いという事実に愕然とする。1980年当時の韓国では日本の音楽や映画などの大衆文化は禁止されていた。時が流れすぎ。
そんなことをとりとめもなく考える。