水着撮影会の件。結局、埼玉県公園施設協会による中止要請は「要請する法的根拠がないよ」という県のツッコミで撤回されたようだが、きっかけになった共産党議員団の圧力のかけ方がなんか雑くないか、と思った。
都市公園法第1条には「この法律は、都市公園の設置及び管理に関する基準等を定めて、都市公園の健全な発達を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする。」とあります。今回の興業が都市公園の目的にふさわしいものとは到底考えられません。
県営公園での過激な「水着撮影会」の貸出中止を埼玉県に求める – 日本共産党埼玉県議会議員団
都市公園法1条は、都市公園法という「法律の」目的を定めた条文であって、「都市公園の」目的を定めた条文ではない。この条文を根拠に「公園の目的」を語るのは論点がずれている。
そもそも公園に「目的」が存在するとか、目的にそぐわない使用を禁じるというような考え方は、近代の自由権の思想と相容れない、かなりヤバい考え方でしょう。日本国憲法で、国民には集会の自由・言論の自由・表現の自由が保障されている(21条)。検閲は禁じられているし、職業選択の自由もある(22条)。「水着撮影会は猥褻だから公園を貸すな」「性の商品化は許さん」という主張はこういう自由権の侵害になっていないか、という点を、件の共産党議員たちはもう少し真面目に考えるべきでは。
かつて明治憲法の下では、新聞紙条例・集会条例から新聞紙法・治安警察法・治安維持法に至るさまざまな治安立法が行われ、自由権は著しく制限されていた。これらの法律を根拠として共産党員も弾圧され、多くの人が殺された。こうした歴史があったからこそ、現憲法ではさまざまな自由権がいちいち明文で保障されているわけで、そのことに現代の日本共産党の連中がこれほど鈍感であるという事実は大変に情けなく、また皮肉でもある。
この手の人たちは必ず「性の商品化ガー」と言うのだが、生きるために自分の性を売るしかない人もいれば、十分な選択肢がある中で自発的に性を売って生きがいとしている人もいて、そこには多様なスペクトラムがある。「性の商品化」を言う人たちは性を売る人と買う人の本当の背景や事実や意思には関心がない。「彼女たちは救うべきかわいそうな人々である」という物語だけを信じて、きわめて暴力的に「正論」を振りかざし、人の自由やビジネスを破壊して自己満足を得ている。世の中を捉える解像度が非常に粗い蛮族にしか見えない。