人が別の誰かに精神的に支配されて、金をむしられたり自分の家族を殺してしまったりする事件がたまに起こる。大の大人がなぜこんなにあっさりと他人にコントロールされてここまでのことをしでかしてしまうのか、と思うわけだが、人を支配しようとする人は一定の割合でいつでもどこにでもいる。そういう人のコントロールを拒絶できない人も一定の割合でいる。
支配欲をぶつけてくる人間を拒むのには訓練が要る。保育園から小学校低学年にかけて、立て続けにこのタイプの同級生から目を付けられていろいろされた。対処法を身に付けて克服できたのは小学3年以降だった。
幼少期の自分は体格も小さく、運動が苦手で自己主張も弱い子供だった。保育園の頃、M君という子から子分扱いされていた。直接暴力を受けたことはないが、一緒に遊びたくないのに断れず、いやいや毎日くっついて、M君のいいなりになっていた。M君宅の庭で裸になれとか言われて、いやいや裸になったこともあった。断ろうとするとやや強い言葉で脅しをかけてくるような感じで、断れなかった。この手の人間は外ヅラがいい。第三者の目がある場面では子分に決して圧力をかけない。おそらく傍目には「いつも一緒にいる仲良し」にしか見えなかったのだろう、M君と俺の間に主従関係があったことに多くの大人は気付かなかった。
母親は俺がいやいや言いなりになっていることに気付いていて、勇気を出してノーと言わなければダメだといつも言っていた。結局、小学校に上がってクラスが分かれたことがきっかけで関係を切ることができた。
しかし、小1では新たにS君という子からやはり目を付けられ、子分扱いされた。一緒にいて少しも面白くないのに、いやいやS君の遊びに毎日付き合っていた。
ある日限界に達して、校舎の階段の踊り場でS君からの誘いに「いやだ」と言った。「何でだよ」と俺の腕を引っぱるS君を必死で押し返して「いやだ!」と大声を出したら、予想外の反応にひるんだようで、「じゃあいいよ」と諦めてくれた。その後、2年になるとS君は転校していって、心底安心したのを覚えている。
3年のときにはT君という子に目を付けられ、からかわれたり、やはり一緒に遊ぶことを強制されたりした。相変わらず運動は苦手だったが、体育以外の成績は良くて、「頭いいやつ」ということで一目置かれつつあったこともあり、T君からはあまりひどい被害は受けずに距離を置くことができた。
支配欲求を向けてくる人間は、最初の間合いがおかしい人が多い。やけに馴れ馴れしかったり、こちらはまだそこまで打ち解けていないのに、一方的にタメ口で話しかけてきたりする。
そして、こういう人種は必ず最初に ping を打ってくる。ごく軽い「上から」の言動を投げてみて、反応を見るのだ。ここでちゃんと反発してくる人には、冗談だよ、とか何とかとりなして、これ以降は対等な付き合いをする。ping を打ったときに、衝突を避けて従順さを見せたり下手に出てへりくだるような人が彼らの獲物で、そういう人を見つけるとだんだん要求をエスカレートさせて支配を強めていく。だから、こいつナメてきてるな、俺に ping 打ってるな、と思ったら最初にガツンと鼻っ柱を叩くことが肝心。新たなコミュニティに放り込まれることが多い4月の対応が特に重要になる。
支配したがる人間から逃れるための武器は2つある。一つは知性だ。即座に言い返せる語彙力・国語力は大事。そして、フィジカルで劣っていても、あるいは貧しくても、頭がよければ集団の中でそれなりにナメられない立場にいることができる。自分に自信を持てるようになるので、他人に対して無駄にへりくだって「自分はマゾです」という誤ったメッセージを送ることを避けられる。本を読め。
もう一つの武器は、直接的暴力だ。人を精神的に支配したがる人間は、直接的暴力には意外と弱いことが多い。脛や頸部など、死なない程度に相手を痛めつけられる急所を知っておくのは有用だ。意外とよく効くのは、相手の衣服の胸ぐらをつかんで思いっきり引っぱる攻撃。肉体にダメージを与えないにもかかわらず、これをやられると凹むやつは多い。これは高校のときに1回使った。部活動の会合で、俺は地学部の部長だったのだが、俺がいる天文班とは別に地質班というのがあって、珍しくそっちと合同で会議をするというときに、地質班の方に半分不良みたいなちょっと困った奴がいて騒いでいたので、そいつの胸ぐらをつかんで「おい」と言ってグッと引っぱったら、「すいません、すいません」とあっさり大人しくなった。普段から傍若無人な振る舞いで周りに迷惑をかけていた奴だったので意外だった。