子供の頃、風呂で目をつぶって頭を洗っている間に幽霊が自分のことをじっと見ている、というような話をテレビか何かを見て以来、洗髪が恐ろしくなったことがあった。また、明かりのない夜道を歩くのはたいてい恐ろしく、闇の中に何かがいるような気分になる。
入手できる情報が足りないと、足りない部分に何か邪悪なものが潜んでいると考えるように人間の脳はできているのかもしれない。情報の欠落に恐怖を感じないタイプの人間は生存しにくく、進化の過程で淘汰されたのかもしれない。
陰謀論も結局はそういうことなのだろう。学力や情報リテラシーが低く、自分の認識世界のあちこちが「分からないこと」で欠けてしまっている人が、欠落部分を無理やり埋めようとして、自分に理解できない物事があるのは邪悪な存在が俺の見えない所で悪いことをやっているからだ、という一見分かりやすい論理にハマって「負の安心」を得てしまう。
認知症や統合失調症を発症した場合も、しばしば猜疑心が強くなったり、被害妄想が現れたりする。「分からないこと」で認識世界が欠落していくほどどんどんハッピーになる、みたいなことはなぜか少ない。